巻3第18話 駈二人羅漢弟子比丘語 第(十八)
今は昔、天竺(インド)の王城(都)では、三宝(仏法僧)を供養するとき、蘇(チーズのような乳製品)・蜜(はちみつ)がなければ、供養しませんでした。
ある施主が山寺に登り、比丘(僧)を供養しようとしたときに、蘇を忘れて登ってしまいました。
山寺の師には、二人の沙弥(小僧)が弟子としておりました。弟子たちはかたときも怠らず師に奉仕していました。菜をつみ、水を汲み、薪を拾い、朝暮に師につかえていました。しかし、師は放逸邪見の人で、まったく休みを与えず弟子をこき使っていました。
二人の弟子は施主が忘れた蘇を得て持ってくるために出て行きました。しばらく待ちましたが、帰ってきません。施主は帰りが遅いのを心配して、道に出て草の中に座って待ちました。すると、二人の沙弥がやってきました。道の途中まできて、二人の沙弥はとつぜん十八変を現じ、菩薩普賢三昧(普賢菩薩を本尊として定に入る)に入り、光を放ち、法を説き、前生を現出しました。
施主はこれを見て驚きました。「彼らは羅漢の聖者だったのだ」と知り、かぎりなく貴く思いました。師のもとに急いで戻って、このことを語りました。師はこれを聞いて、奇異に感じざるを得ませんでした。
やがて、二人の沙弥が蘇を持って帰ってきました。師は二人の沙弥に向かって言いました。
「私は愚痴で知らなかったために、羅漢にたいしてずっと無礼を働いていました。願わくは、この罪みをおゆるしください」
沙弥は答えました。
「私たちは道の途中で神通を現じ、師に知られてしまいました。悲しいことです。どうしたら今後も師に使ってもらえるでしょうか」
二人は嘆き、悲しみました。
「師に仕えないと、仏に成るために時間がかかるのです」
二人はそこを立ち去らないまま光を放ち、法を説きました。師も施主もこれを聞き、信仰を厚くしました。
沙弥は言いました。
「私たちは初地に登ります」
すると、位はさらにあがり、無上菩薩となりました。ふつうの人のようなすがたをして、人に使われる修行をしていたのです。
仏になる道にはさまざまな障害があります。心ある人は、この話を聞いて、それを知るべきだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
伝わりやすさを考え、ここでは「小僧」語をもちいたが、沙弥とは「受戒しておらず僧になっていない者」をさす。したがって沙弥にはオッサンも多くいた。
師が沙弥たちを軽んじたのは、このことも大きな理由になっている。
沙弥が「どうしたら使ってもらえますか」と問うのは、軽んじられこき使われることが修行になっていたためだ。正体がバレたらもう修行にならないからこそ、沙弥は姿を消さざるを得なかったのである。
目の前のその人がじつは仏だと思って過ごしたいものですね。

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