巻3第19話 須達家老婢得道語 第(十九)
今は昔、天竺(インド)の舎衛城(シュラーヴァスティー、コーサラ国の首都)に、須達長者(スダッタ、祇園精舎を寄贈した富豪)が住んでいました。老婢(老いた女奴隷)がひとりありました。名を毗低羅(びていら)といいます。長者の家業に従事しておりました。
長者は仏(釈尊)と比丘僧(弟子)を請じて供養しました(招待してごちそうした)。老婢はこの様子を見て、仏法僧を嫌い、慳貪(ケチで欲深い)の心が深いゆえに言いました。
「我が主の長者は沙門(僧)の術を信じている。愚かなことだ。私はいつになったら、仏の名を聞かず、比丘の名を聞かずにすむことだろうか」
この声はあっという間に舎衛城じゅうに広まりました。
王妃・末利夫人(マッリカー夫人)はこれを聞いて思いました。
「須達長者はよき蓮花のように、多くの人に賞賛されている。どうして家に毒蛇を置き護っているのか」
王妃は須達の妻に語りました。
「あなたの家の老婢は、悪口を言って三宝(仏法僧)を誹謗しています。なぜ追い出さないのですか」
「仏は鴦掘摩羅(アングリマーラ)のような悪人すら、改心させ弟子にされた方です。どうしてこの老婢を導かないでしょうか」

末利夫人はこれを聞いて喜びました。
「私は明日、仏を(自分の)宮に招きます。あなたはかの老婢を宮につれて来てください」
長者の妻はこれを受けて帰りました。
翌日、瓶に黄金を入れ、この老婢に持たせ、王宮に奉りました。末利夫人は老婢が来るのに合わせて、仏をお招きしました。そのような計略だったのです。仏は王宮の正門から入りました。難陀(ナンダ)は左に、阿難(アーナンダ)は右に、羅睺羅(らごら、ラーフラ)は後に随っていました。
老婢は仏を見て驚き騒ぎ、心迷い毛が逆立ちました。
「この悪人(仏)は私について王宮に入ってきた。すぐに帰ろう」
走り逃げました。正門には仏がいらっしゃいましたから、そちらには行かず、脇戸から出ようとしました。しかし、脇戸は自然に閉まり塞がりました。老婢は扇で顔を覆い隠そうとしましたが、仏はその前に立たれ、扇を鏡のように変え、覆い隠すことができないようにしました。老婢は騒ぎ迷い、東を見ると仏がおります。南・西・北を見ると仏がおります。仰いで上を見ても仏がおります。うつむいて下を見ても仏がおります。手で顔を隠そうとすると、十本の指ごとに、化仏がおりました。眼を閉じようとしても、思ってもいないのに眼が開いてしまいました。虚空の十方界(八方角と上下)に化仏が満ちていました。
城内には二十五人の旃陀羅(せんだら、アウトカースト)がおり、五十の婆羅門(ばらもん、カーストの最上位)の女がいました。また、王宮の内に、仏を信じない五百人の女がありました。仏が老婢のために無数の身を現じたのを見て、それぞれが元来の邪見を捨て、はじめて仏を礼拝し、「南無仏」と言いました。たちまちに菩提心を発したのです。ところが老婢は邪見深く、なお信じませんでした。しかし、長く仏を見ていた功徳によって、人が持つさまざまな罪を滅することができました。
老婢は長者の家に帰って、須達の妻に申しました。
「私が今日、あなたの使いとして王宮に至ったとき、狗曇(ぐどん、釈尊)は王宮の門におりました。さまざまなな幻を現出させるのを見ました。身体は金剛山(須弥山)のようで、眼は青い蓮花のようでした。無量の光を放っていました」
そのまま木で籠をつくり、その中に入って眠ってしまいました。
仏が祇園精舎に帰ろうとすると、末利夫人が申し上げました。
「仏よ、どうかこの老婢を化度(教化)してください。それから精舎に戻ってください」
仏は申しました。
「老婢の罪は重く、私にそれを化度する縁がない。羅睺羅にその縁がある」
仏は羅睺羅を須達の家にやりました。羅睺羅は老婢を度するため、転輪聖王のすがたになりました。弟子の千二百五十の比丘は、その子となって須達の家に至りました。羅睺羅は老婢を玉女としました。老婢は歓喜し、輪王を礼拝しました。輪王は十善(破戒をいましめる十の言説)を説いて婢に聞かせました。婢はこれを聞いて、心をあらためました。
羅睺羅と千の弟子は、元のすがたに戻りました。老婢は言いました。
「仏法は清浄であり、衆生(人々)を見捨てない。私は愚痴であったために、長年これを信じなかった。にもかかわらず、私のような悪を化度してくれた」
老婢は五戒を受け、須陀洹果(しゅだおんか、悟りの第一段階)を得ました(聖人になった)。さらに、仏の御許に詣で、罪を懺悔し、出家を求めました。阿羅漢果(悟りの最高位)を得ました。虚空に昇り、十八変(仏菩薩の現す十八種の神変不思議)を現じました。
波斯匿王(はしのくおう、プラセーナジット王)はこの様子を見て、仏に問いました。
「老婢は前世にどんな罪があって、今、婢となって使われているのですか。また、過去にどんな福があって、仏に出会い、道を得ることができたのですか」
仏は王に告げました。
「久遠の昔、仏が世に出た。宝蓋灯王仏という。その仏が涅槃に入った後、像法の時代に王があった。雑宝花光という。快見という王子があった。王子は出家して道を学んだが、王子であることを誇り、驕慢なふるまいをしていた。
王子の師は高徳の僧であり、王子に甚深般若の空(仏教哲学の粋)を説いたが、王子はこれを邪説だと考えた。王子は師が亡くなった後に言った。『私の師は智恵を持たなかった。空を説いた。私は生まれ変わっても、この人に会いたくはない』
その後、一人の阿闍梨(高僧)を師とするようになった。『私の新しい師である阿闍梨はすぐれた智恵を持ち、弁舌に長けている。願わくは、何度生まれ変わってもこの人の善知識(友や血族など関係の深い係累)となりたいものだ』
王子は多くの弟子に、空の哲学を邪説だと信じさせた。
戒は守っていたが、般若の空を疑ったことにより、命が終わって阿鼻地獄に堕ちた。無量の苦を受けた。地獄を出てからは貧賤の人に生まれ、五百世にわたって聾盲の人として生まれた。その後の千二百世は、つねに婢となった。高徳の僧とは今世の私であり、その後に師とした阿闍梨は、今世の羅?羅である。王子だった者は、今世の老婢である。だから私に縁がなく、羅睺羅の教化を受けたのだ。前世では比丘(僧)として多くの弟子をしたがえ、法を学ばせていた。そのことで阿羅漢果を得ることができたのだ。王宮の中の多くの邪見の女とは、そのときの弟子たちだ」
そう説いたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
空の思想は仏教哲学の粋であるが、難解を指摘する声も高かった。わかりやすい幻術や過去世のエピソードなどで空思想を称揚しつつ、思想を否定する人があったことを描いている。
釈尊存命時の逸話のように語られているが、思想の種子はあったものの、空思想の成立は釈尊の死後とされている。

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