巻3第30話 仏入涅槃給時遇羅睺羅羅語 第(三十)
今は昔、仏(釈尊)が涅槃に入ろうとするとき、羅睺羅(らごら、ラーフラ。釈尊の子)は思いました。
「仏は涅槃に入ろうとしている。悲しくてとても堪えられない。私は他の世界に行こう。悲しみに襲われないために」
上方の恒河沙(ガンジス川の砂の数)の世界を過ぎたところに、仏の世界がありました。その世界で過ごしていると、その世界の仏が羅睺羅を見つけ、告げました。
「おまえの父、釈迦牟尼仏は今まさに涅槃に入ろうとしている。なぜ、おまえはそのときに父と会わず、この世界に来ているのか」
羅睺羅は答えました。
「仏が涅槃に入るのを見ると、悲しみが堪え難くなるのです。それを見ないようにしようと考えて、この世界に来たのです」
「とても愚かだ。おまえの父、釈迦牟尼仏は、涅槃に入ろうとしつつ、おまえが来るのを待っている。すみやかに帰り、最期の顔を見届けなさい」
羅睺羅は仏の教えにしたがい、泣きながら帰りました。釈尊は弟子の比丘たちに問いました。
「羅睺羅は来たか」
そのとき、羅睺羅は帰ってきました。弟子たちは言いました。
「仏は今、涅槃に入ろうとしている。羅睺羅に会うのを待っているのだ。すみやかに、御傍に疾く参りなさい」
羅睺羅は泣きながら、参り寄りました。釈尊は羅睺羅を見て言いました。
「私は今、滅度を取る(涅槃に入る)。永久にこの世界を離れるのだ。おまえが私に会えるのは今だけだ。さあ、近くに来てくれ」
羅睺羅は涙に溺れつつ参りました。釈尊は羅睺羅の手をとって言いました。
「羅睺羅は、私の子です。十方(すべての方向)の仏たちよ、この子をあわれんでください」
釈尊はそう願い、滅度しました。これが最後の言葉になりました。
清浄の身である仏すら、父子の間柄はほかの御弟子との関係とは異なりました。五濁悪世(けがれに満ちたこの世)の衆生が、子を思うのは道理でありましょう。仏もそれを表したのだろうと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
仏教は基本的に、愛を否定する。恋人との愛、友人との愛、夫婦の愛、そして親子の愛。いずれも欲、煩悩そのものである。諸行は無常であり、永遠のものではないという思想にしたがえば、親子の情愛はあってはならない。消えゆくものと知らねばならない。ために出家(家族を捨てる)する。
ところが、この話で釈尊は、一般の弟子と同じくあつかった我が子・羅睺羅に顔を見せてくれと願っている。死ぬ前にもう一度会いたいと訴えている。
羅睺羅は別の世界に行ってその世界の仏に会う能力があるんでしょ、だったら釈尊が死んでからも会えるんじゃね、とは思うけど、それを言うとこの話の美しさがそこなわれる。深く問わぬが吉。









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