巻3第32話 仏涅槃後迦葉来語 第(卅二)
今は昔、仏が涅槃に入ったことを聞き、摩訶迦葉(大迦葉、マハーカーシヤパ。釈迦十大弟子のひとり)が狼跡山(鶏足山)より出でてきました。途中、尼乾子(にけんし。ジャイナ教徒)に出会いました。手に文陀羅花(曼珠沙華。ヒガンバナ)を持っていました。迦葉は尼乾子に問いました。
「おまえは我が師のことを聞いたのか」
「おまえの師は、涅槃に入って(亡くなって)、すでに七日になる」
迦葉はこれを聞いて、かぎりなく泣き悲しみました。迦葉にしたがっていた五百の比丘(僧)も、これを聞いて叫び悲しみました。
迦葉は拘尸那城(くしなじょう。クシナガラ。釈迦入滅の地)をめざして行きました。尼連禅河(ニーランジャナー川)を渡り、天冠寺に至って阿難(アーナンダ)に会いました。
「私は仏を未だ葬していないさまを、見たいと思う」
阿難は答えました。
「まだ葬してはおりませんが、仏の遺言によって、遺体に五百の張り布を身にまとい、金の棺に入れ、それを鉄棺に入れています(三十一話)。お目にかかることはできないでしょう」
迦葉は三度「見たい」と乞いましたが、阿難の答えは同じでした。
迦葉は棺のところに向かい、金の棺の中から、仏の二本の御足を出しました。見ると、御足は金色ではなく、異なる色でした(身金色相)。迦葉はこれをあやしみ、阿難に問いました。
「仏の御身は金色であるはずだ。この遺体はなぜ異なる色になっているのだ」
「ひとりの老母が、仏が涅槃に入り給うさまを見て、泣き悲しみ、涙をご遺体に落としました。それで仏の御身の色がかわったのです」
迦葉は棺に向かい、泣きながら礼拝しました。四部の衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷。出家信者と在家信者)と天人は、共に礼しました。仏の御足はたちまちに見えなくなりました。
迦葉は仏の身近な弟子でしたが、仏の滅度に会うことができなかった人であると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
摩訶迦葉は一説に仏教の第二祖であったとされる。釈尊の死後、残した言葉を経にまとめる「結集」でも、中心的な役割を果たした。

本文中、ジャイナ教徒がヒガンバナ(曼珠沙華)を持って立っている描写がある(尼乾子が文陀羅花を持っていると語られている)。曼珠沙華は仏教からついた名であるものの、中国原産の花で、インドには自生しない。日本のそれは古い古い帰化植物だそうだ。
このくだりが中国で形成されたことの証左であるが、では果たしてなぜそれがジャイナ教徒が持つものであるのか、なぜここにジャイナ教徒が登場するのか、わからなかった。知ってる人教えてください。








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