巻30第14話 人妻化成弓後成鳥飛失語 第十四
今は昔、□□の国□□の郡に住んでいる男がありました。その妻は美しくうるわしくすばらしい姿をしていたために、男は離れがたく感じ、ともに住んでいました。ある日、妻と同衾しているとき、男は夢を見ました。妻がこう語ったのです。
「私はあなたとともに暮らしてきましたが、遠いところに行かなくてはならなくなりました。もう会うことはできないでしょう。私の形見を置いていきます。それを私だと思って愛してください」
そのとき夢から覚めました。
男が驚き見ると、妻がいなくなっていました、近辺を探し回りましたが、見つけることはできませんでした。
「なんということだ」と思って見ると、枕上に弓が一張りありました。もとはそんなものはありませんでした。
「夢で形見と言っていたのはこれか」と思いましたが、「もしかしたら妻が帰ってくるかもしれない」と考えて待っていました。恋い悲しみましたがどうしようもありませんでした。
「ひょっとすると、妻は鬼神などが化けたものだったのかもしれない」
恐ろしく思ったこともありました。
「だが、そうだったからといって今はどうすることもできない」
弓を傍に近く立てて、明け暮れに妻が恋しいときには手に取ってぬぐったりして、離れることはありませんでした。
何か月か経ったころ、近くに立てていた弓がとつぜん白い鳥となって飛び立ち、遠く南をさして行きました。男が「なんと奇異なことだ」と思って見ていると、鳥は雲にまぎれていきます。追いかけるうち、紀伊の国(和歌山県)に至りました。鳥はそこでまた人になりました。
「やはり、妻はふつうの人ではなかったのだ」
男はそこで引き返しました。
男は和歌を詠みました。
あさもよひきのかはゆすりゆくみづのいつさやむさやいるさやむさや
この歌は、近来の和歌とはちがっています。「あさもよひ」とは、朝、食事をするときをいいます。「いつさやむさや」とは、狩りをする野のことです。聞いただけでは意味をとることができないので説明しました。
この話はもっと深く知りたくなるし、現実にあったこととも思えないのですが、古い書物にあることなので、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 葵ゆり
【校正】 葵ゆり・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 葵ゆり
『俊頼髄脳』より得た話。
ヤマトタケルには白鳥となって飛び去り消えたという伝説(白鳥伝説)があり、『古事記』『日本書記』に記述があるが、その場所は三重県・奈良県・大阪府のいずれかとしており、本話の記述(紀伊の国、和歌山県)とは異なっている。
紀伊にはその名も白鳥の関と呼ばれる場所があり、その由来を語る物語もあるが、この話が先にできてそれを伝えるために物語ができたと考えられているようだ。
(巻三十 了)
(以下草野記)
巻三十は恋愛話のコレクションであるが、わずか十四話しかない。
しかも悲恋ばっかり。
恋のあまり狂気にいたった男の話(第一話)、ツイてないのはおまえのせいだと離縁したら、ますます落ちぶれてしまった夫の話(第五話)、身分の高い男と駆け落ちしたら男が拉致されてしまった話(第七話)、姫を恋してしまい誘拐におよんだ従者の話(第八話)、恋愛することで不幸になる話ばかり収められている。
編者(作者)はあきらかに恋愛によい感情を抱いていない。
恋愛を排除しても千の物語を集めることは可能なのだな。
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