巻31第25話 豊前大君知世中作法語 第廿五
今は昔、□□天皇の御代に、豊前(とよさき)の大君(おおぎみ)という人がいました。
桓武天皇の第五皇子の御孫でありましたが、位は四位で官職は刑部卿(ぎょうぶきょう)兼大和守などでありました。
この人は世の中のことをよく知り、正直で、朝廷の政治の良しあしを判断していました。除目(じもく、官を任命する儀式)が行われるときには、国司に欠員のある国々について、順番を待って国司の選任を望んでいる人びとを、その国の階級に応じて推しはかり、
「誰それは、どこそこの国の守に任じられるだろう。誰それは道理を申し立てて申請しても決して任じられまい」
などと、国ごとについて言いました。
それを聞いて、希望がかなった者は除目の翌朝には、この大君の許へ行って褒め称えました。
この大君の除目予想は絶対に間違いがなかったので、世を挙げて、
「やはりこの大君の除目予想は大したものだ」
と、賞賛しました。
除目の前にも、大君の許に大勢押しかけて、除目の首尾を尋ねると、推量したままに答えました。
「任じられるだろう」と言われた人は、手をすり合わせて喜び、
「やはりこの大君は大した御方だ」
と言って帰ります。
「任じられないだろう」と言うのを聞いた人はひどく怒り、
「何を言うか、この古大君め。道祖神を祭って気が狂ったに違いない」
など言って、腹を立てて帰って行きました。
さて、このように任じられるだろうという人が任じられず、他の人が任じられた場合、大君は、
「これは朝廷の人選がお悪いのだ」
と言って、政道を非難し申しました。
そこで天皇もお側近く仕える人びとに、
「豊前の大君は除目をどのように言っているか。行って尋ねてみよ」
と仰せられました。
昔はこういう人が世にいたのだ、とこう語り伝えているということです。
【原文】
【翻訳】 柳瀬照美
【校正】 柳瀬照美・草野真一
【解説】 柳瀬照美・草野真一
宇治拾遺物語に同じ話がある。
枕草子は除目を「すさまじきもの(とんでもないこと)」と語っている。


【参考文献】
小学館 日本古典文学全集24『今昔物語集四』








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