巻三十一第三十五話 元明天皇の御陵の話

巻三十一(全)

巻31第35話 元明天皇陵点定恵和尚語 第卅五

今は昔、元明天皇(げんめいてんのう)が崩御されたとき、御陵(みささぎ)の地を定めるために、大織冠(だいしょくかん・藤原鎌足)のご長男・定恵和尚(じょうえわじょう)と申す方を指名して、大和国(奈良県)に遣わしました。

ところで、吉野郡蔵橋山(よしののこおりくらはしやま)の峰や多武峰(とうのみね)の断崖絶壁が重なり合っている後ろに、一つの峰があり、その前には七つの谷が向かい合っていました。
定恵和尚はこれをご覧になって、「ああ、じつに素晴らしく尊い土地だ。だが、左右が下がっている。□□の人はあるまい。これまでも土地が狭いために、これを採用しなかったのだろう」と思って、ここは採用しませんでした。

さて、その麓の北西の方に広い土地がありました。
そこを採用しました。
軽寺(かるのてら・法輪寺)の南にあたります。
これが元明天皇の檜前陵(ひのくまのみささぎ)であります。
周りに鬼の姿をした石の像をめぐらし□□、池辺陵(いけべのみささぎ)に向かうように建て、たいそう立派なものでありました。
使った石など、他の陵より優れています。

そして峰には、大織冠や淡海公(たんかいこう・藤原不比等)の御墓もあります。
その御骨は、つき砕いて粉々にしてまき散らしました。
それで馬や牛に踏ませまいと、周りに堀を遠くめぐらせ、絶対に人を寄せ付けません。
その上、大織冠・淡海公のご子孫は、この国最高の左大臣として、今も栄えておいでになります(藤原道長か)。
天皇との間に不和が生ずるときには、その大織冠の御墓が必ず鳴動するということであります。
ですから、これを怪しまない者はありません。

多武峰という所がこれである、と語り伝えているということです。

元明天皇 奈保山東陵(奈良県橿原市)

【原文】

巻31第35話 元明天皇陵点定恵和尚語 第卅五
今昔物語集 巻31第35話 元明天皇陵点定恵和尚語 第卅五 今昔、元明天皇の失給へりける時、陵取らむが為に、大織冠の御一男定恵和尚と申ける人を差して、大和国へ遣しけり。 然れば、吉野の郡蔵橋山の峰、多武の峰の岸重れるが後に峰有り。前へに七の谷、向て有り。定恵和尚、此れを見給て、「哀れ、微妙かるべき止事無き地かな。...

【翻訳】 柳瀬照美

【校正】 柳瀬照美・草野真一

【解説】 柳瀬照美

元明天皇は、奈良前期の女帝。天智天皇の第四皇女で、天武天皇の皇太子・草壁皇子の妃、文武・元正天皇の母。藤原不比等の影響を強く受けた政治を行った。

藤原鎌足は、はじめ中臣(なかとみ)氏であったが、中大兄皇子(天智天皇)を助けて蘇我大臣家を滅ぼして大化改新を主導し、その功によって藤原姓を賜った。
藤原不比等は鎌足の次子で、藤原四家の祖・武智麻呂・房前・宇合・麻呂と、文武天皇夫人の宮子、聖武天皇の皇后・光明子(安部媛)の父。律令制度の確立に努めた。

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【参考文献】
小学館 日本古典文学全集24『今昔物語集四』

【協力】 いっちー

 

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