巻31第7話 右少弁師家朝臣値女死語 第七
今は昔、右少弁・藤原師家という人がありました。たがいに心を通わせて、行き通う女がありました。
女の心ばえはとてもよく、つらいことも耐え忍び、静かに思いをめぐらす性格でしたから、弁は事にふれ「この人に嫌われないようにしよう」と考え、ふるまっておりました。しかし、公務が忙しく、別の女に心を寄せるような夜もあったために、次第にこの女からは離れていきました。女はこのようなことに慣れていなかったので、つらいことに思い、打と解けた様子も見せなくなりました。男の足も次第に遠のき、以前のようではなくなりました。女は男を嫌いになったわけではありませんでしたが、情けなく思い、不満ばかりつのるようになりました。互いに気持ちがなくなったわけではありませんが、やがて離れてしまいました。
半年ほど経ちました。弁がその女の家の前を過ぎると、そのときたまたま外出から戻った使用人が、家に入って言いました。
「弁殿がたった今、通り過ぎられました。以前、この家に入ってきたときのことが思い出され、哀しく眺めました」
主の女はこれを聞いて言いました。
「申し上げたいことがございます。入ってもらってください」
弁は呼ばれ、「そうだ、ここは以前通っていた家だ」と思い、車を返させ、下りて家に入りました。女は経箱(経を入れる箱)に向かい、やわらかな衣に、厳しく清い袴をつけていました。今とりつくろったようにも見えず、眼や額、口つきなどもひきしまり、身だしなみのよい様子でした。
弁はまるで今日はじめて見る人のように思いました。
「なぜ今まで会おうとしなかったのだろう」
かえすがえす口惜しく思いました。
「経を読んでいるのをやめさせて、今すぐ寝たい」
と思いましたが、しばらく会っていないのにいきなりそれははばかられて、話しかけてみました。ところが、女は経を読み続け、答えもしません。話しかけたいと思いながら、女の顔を眺め、経を読み終えるのを待ちました。過ぎた日々を取り返すことができるなら取り返したいと思いました。輝くほどの美しさで、みっともないほどに思いが深まり、今晩はここに留まろうと考えました。
「今日より以後、この人を大切にしないならば、神仏の罰がくだるだろう」
心の内で万の誓いをたてました。女にこれまで心ないあつかいをしたことをあやまりましたが、彼女はまったく答えもせず、法華経の七巻に至りました(全八巻)。薬王品(解説参照)を三度読みました。
弁は言いました。
「なぜ、そうも経を読み続けるのですか。はやく読み終えてください。申し上げたいことがたくさんあるのです」
女は
「於此命終。即往安楽世界。阿弥陀仏。大菩薩衆。囲繞住所。青蓮花中。宝座之上。(ここにおいて命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆に囲遶せらるる住処に往って、蓮華の中の宝座の上に生ず)」
というところを読み、涙をほろほろと流しました。
弁は言いました。
「なんということですか。尼のように道心がついたのですか」
女は涙を浮かべ、こちらを見ました。霜露にぬれているようでした。
「これまで、なぜこの人を捨ておいたのだろう」
そう思うと、自分も涙を流してしまいそうになります。
「もし今後、この人に会えなくなったなら、どんな思いがすることだろう」
かえすがえすも忌々しく、我が心ながら腹立たしく思いました。
女は経を読み終えると。琥珀(コハク)で飾られた沈(沈香木)の念珠を押しもんで、念じ入っていました。しばらくして目を上げた顔色がにわかに怪しくなったので、どうしたことかと思っていると、女が言いました。
「『もう一度会いたい』と思って、お呼びしたのです。これが最後です」
そのまま息絶えました。弁は奇異を感じ、人を呼びましたが、誰も答えませんでした。しばらくして、年長の侍女が「どうしたのですか」と言って現れました。ありさまを見て、「おおこれは、どうしたことですか。何があったのですか」と言って惑いました。
どうしようもなく、髪の筋が切れるように早く亡くなってしまいましたし、死の穢れ(解説参照)を得て籠ることできる身分ではないので、弁は家に帰ろうとしました。女のありしころの顔が心にかかり、悲しく思いましたが、誰がこうなることを予測できたでしょうか。
弁はそれから幾日も経たないうちに、病を得て亡くなりました。女の霊がとりついたのではないかと噂されました。女と親しかったのだから、霊だとわかっていたのではないでしょうか。
女は最後に法華経を読んで死んだのだから「きっと後世は貴いだろう」と考える人もありました。一方で「弁を見て、深く恨みの心を起こして死んだのだ。罪深いことだ」と考える人もありました。そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
女が読誦している薬王品とは、正式名称を「薬王菩薩本事品第二十三」という(品は章というほどの意味)。
仏教は一般に女性を劣ったものとしており、女は女のままで悟りを開く(=ブッダになる)ことはできないとされていた。いちど男性に生まれ変わり、その上で仏となるといわれていたのである。
法華経薬王品は薬王菩薩のはげしい修行を語りつつ、女人が法華経を受持して修行するならば、そのまま成仏して浄土に生まれることができると説いている(女人成仏思想)。
『梁塵秘抄』には、「女のことにたもたむは、薬王品にしくはなし、如説修行年ふれば、往生極楽うたがはず」と記されている。
死に接すると穢れるとされた。現在でも葬式などに参列するとお浄めの塩が配られるが、あれは死穢を落とすためである。穢れを落とさなければ公の場に出ることができない。この話の主人公・藤原師家はいわば公務員であるから、穢れを得てしまうと出仕できなくなったのであろう。一定期間出勤してはならないという規定がある場合も多かった。

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