巻31第9話 常澄安永於不破関夢見在京妻語 第九
今は昔、常澄安永という人がありました。惟孝親王の下家司(しもけいし、家務を司る下級の者)です。安永は親王の封戸(税)を徴収するため、上野の国(群馬県)に入りました。何か月か経って帰国の際、美濃国(岐阜県)不破関に宿泊しました。
安永は京に年若い妻を置いてきていました。長く地方にいなければならなくなって、心配でたまりませんでした。そのとき、にわかに恋しくなりました。
「何かあったのかもしれない。夜が明けたら、とにかく急いで帰ろう」
そう思って関屋(関所の小屋)に寝転んでいるうちに、眠り込んでしまいました。
安永は夢を見ました。
京の方から、火をともし来る者があります。童(髷を結わず烏帽子をつけない者)が、女をつれています。
「何者だろう」
そう思ううち、二人は安永の休む屋のわきにやってきました。女はなんと、京にあるはずの妻でした。
「これはどうしたことだ」
そう不思議に思っていると、二人は壁一枚を隔てて座りました。
安永が壁の穴からのぞいてみると、童は妻と並び、鍋を取り出し飯を炊き、いっしょに食事をしました(親密な男女の行動)。
「なんと、我が妻は、私がいない間に、この童と夫妻になったのだ」
心が騒ぎ動いて、とても安心できませんでしたが、「どうするのか見ていてやろう」と考えました。食事が終わると、妻はこの童と抱きあい、横になりました。ほどなくして交合しました。
安永はこれを見て、おおいに怒りました。二人がいるところに踊り入ってみると、火もなく、人もありませんでした。そこで夢から覚めました。
「夢だったのか」と思いましたが、「京で何かあったのかもしれない」と思うと心配でなりません。夜が明けると急いで出立し、夜も昼も歩き続けて京に戻り、家に帰りました。妻はなにごともなかったようで、安永は安心し喜びました。妻は笑いながらこう言いました。
「昨日の夜、誰かわからぬ童がやってくる夢を見ました。童は私をつれて、どことも知れぬところに行くのです。夜ですから火をともし、空屋に入り、飯を炊いて童と二人で食べました。その後二人で寝ているとき、にわかに何かが出てきて、童も私も声をあげました。そこで夢から覚めたのです。あなたのことを心配しました。そして、あなたがお帰りになったのです」
それを聞いて、安永は言いました。
「私もこの同じような夢を見た。ひどく心配になったので、夜も昼も休まずに急ぎ帰ってきたのだ」
これを聞くと、妻も奇怪に思いました。
妻と夫が同時に同じことを夢見るとは、希有の事です。これは、たがいに心配に思っていたためでしょう。たがいに同じ霊魂を見たためかもしれません。解せぬことです。
出かける際には、妻子であっても、強く不安に思うべきではありません。心気が尽きて(精神をすり減らして)困憊してしまいます。そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
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