巻4第10話 天竺比丘僧沢観法性生浄土語 第十
今は昔、中天竺に比丘(僧)がありました。名を僧沢といいます。怠け心がとても強く、愚か者でした。比丘の姿をしていましたが、まともに修行したことがありません。経や真言もまったく知らず、ただ寺に住み、供養(食物など)を受け、日毎・夜毎に罪をつくりました。後世のこともまったく考えませんでした。
同じ寺に住む比丘はみな、僧沢を軽蔑し、同席することをいやがるばかりか、ややもすれば寺を追い出そうとしました。
しかし、僧沢にはすこしだけ智恵がありました。身の内にある仏の、三身(法身・報身・応身、仏の3種類のあり方)の功徳を常に思い、忘れることなく、昼夜念じつづけました。長くこれを続けたので、その功徳が自然にあらわれました。心の内に法性を得たのです。僧沢はいよいよ他のことを考えなくなりました。
やがて年月が過ぎ、僧沢は老い、病の床につきました。寺の比丘はみな、これをきたなく思い、謗りました。
ところが、いよいよ命を失う瞬間、多くの仏菩薩が僧沢のもとを訪れ、彼を教化しました。僧沢はしだいに血色がよくなり、床の上に起き直り、仏を念じ、法性を観じて逝きました。
次の世で、僧沢は覩率天(とそつてん)の内院に生まれました。そのとき、僧沢は光をはなち、かぐわしい香りを発しました。比丘たちが僧沢のところに行ってみると、色あざやかに輝き、正しく座って合掌していました。部屋にはかぐわしい香りがただよっています。比丘たちはこれを見て驚き、軽蔑していたことを悔いました。その後は僧沢の所行を尋ね、修行するようになりました。
勤めをせず、怠けているように見える比丘も、「なにか理由があるのだろう」と考え、決して軽んじてはならないと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
柴崎陽子
【校正】
柴崎陽子・草野真一
【協力】
草野真一
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