巻四第八話 ニセの仏を拝み泣いた聖人の話

巻四(全)

巻4第8話 優婆崛多降天魔語 第八

今は昔、天竺に、優婆崛多(うばくった、ウパグプタ)という悟りに至った羅漢(聖者)がありました。人を利益すること、仏のようでした。法を説き、多くの人を教化しました。その法を聞くと、皆が利益を得て、罪を滅しました。優婆崛多の説法を聞くため、多くの人が集まりました。

ある日、説法の場にひとりの女がやってきました。形貌端正、すばらしく美麗な女でした。ともに法を聞く人はみな、この女の美しいすがたを見て、愛欲の心をおこし、法を聞くさまたげとなっていました。

優婆崛多は、女を見てただちに理解しました。
「これは天魔が、『法を聞いて益を得る人の邪魔をしよう』と考えて、美女に化けたものにちがいない」
女を呼び寄せ、花鬘(けまん、花飾り)を女の首にかけました。花鬘だと思って退出すると、首にかかっていたのは、人・馬・牛などの不浄な骨をつなげたものでした。臭く、気色悪いことこの上ありません。

女は天魔の形にもどって、首にかかったものを取り去ろうとしました。できなかったので、東西南北を走り廻りましたが、可能な者はありませんでした。ともに説法を聞いていた人は、不思議に思いました。

天魔は首領・大自在天に面会し、乞いました。
「これを取り除いてください」
大自在天は答えました。
「これは、仏弟子がしたことだろう。私には取り去ることはできない。これをかけた者に『取り去ってください』とお願いするしかない」
天魔はふたたび優婆崛多のもとに行きました。
「私は愚かにも、『法を聞く人の邪魔をしよう』と思って、美女に化けました。これを悔い、悲しんでいます。二度とこの心を起こしません。願わくは、聖人よ、これを取り除いてください」
優婆崛多は首の戒めを取り去りながら答えました。
「これより後、法をさまたげる心を持ってはならないぞ」

大自在天。平安時代の仏像図集『図像抄』(十巻抄)より

天魔はとても喜んで、「何か、お礼をしたいと思います」と申しました。
優婆崛多は尋ねました。
「おまえは、仏のすがたを見たことがあるか」
「あります」
「私は仏をとても恋しく思っている。仏に化けて、私に見せてくれないか」
「化けるのは簡単ですが、あなたが拝めば、たちまち元の姿に戻り、私の耐えがたい姿をお見せすることになります」
「決して拝むことはない。化けてみせてくれ」
天魔は「決して拝んではなりませんよ」と念を押し、林の中に歩み隠れました。

しばらくたって、林の中より歩み出てきたのは、身は丈六(釈迦の身長とされる。一丈六尺、約4.85メートル)、頭の頂は紺青、身の色は金色のひとでした。身体から放つ光は、日がはじめて出たときのようでした。優婆崛多はこれを見ると、「拝んではならない」と思っていたのに、不覚にも涙こぼれて、臥して声を出して泣き崩れました。

そのとき、天魔はもとの姿に戻りました。首にさまざまな骨をかけ、瓔珞(ようらく、ネックレス)としていました。「だから言ったではないですか」天魔は悲しみました。

優婆崛多は天魔を降伏し、衆生(人々)を利益すること、仏に異ならずと語り伝えられています。

【原文】

巻4第8話 優婆崛多降天魔語 第八
今昔物語集 巻4第8話 優婆崛多降天魔語 第八 今昔、天竺に優婆崛多と申す証果の羅漢在ます。人を利益し給ふ事、仏の如し。亦、法を説て、諸の人を教化し給ふ。世の人、来て法を聞くに、皆利益を蒙て、罪を滅す。然れば、世挙て指合(さしあ)へる事限無し。

【翻訳】
柴崎陽子
【校正】
柴崎陽子・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
柴崎陽子

釈迦没後の名僧・優婆崛多を伝えるシリーズの三話め。『阿育王経』ほかからとった話で、『十訓抄』などにも同じ話が伝えられています。

天魔の首領として登場する大自在天とはヒンドゥー教の最高神のひとり・シヴァ神。仏教ではずいぶん低い立場におかれています。
これはおたがいさまで、ヒンドゥー教にはブッダを多数ある神の化身とする考え方があります。

シヴァ神。大自在天と白牛が共通している

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