巻4第9話 天竺陀楼摩和尚行所々見僧行語 第九
今は昔、陀楼摩(だるま)和尚という聖人がいらっしゃいました。天竺のすべての場所に赴き、あらゆる比丘(僧侶)のおこないを見て、世に伝えました。
ある大きな寺に詣でたときのことです。ある僧房では、仏像に花をたむけ香をたいていました。ある房では比丘が経を読誦していました。さまざまな形で貴いおこないが執り行われていました。
その中にひとつの房がありました。草深く、塵が積もっていて、人が生活している気配がありません。入ってみますと、八十歳ほどの老比丘が二人いて、碁を打っていました。仏像もなく、経文もありません。ただ碁だけを打っているように見えました。
和尚はたずねました。
「あの房には、老比丘が二人いて、碁を打っていました。他には何もしていないように見えました」
「あの古老二人は、若いときから、碁を打つ以外のことをしていません。仏法の存在も知らないでしょう。寺のほかの比丘もうとましく思い、交際しないようにしています。ただ、供物を受けてそれを食べ、碁を打つほか何もせず年月を送っています。外道(仏教以外の宗教)のようなものです。あなたも近づかないほうがよいですよ」
和尚は思いました。
「この二人は何かある」
二人の古老が碁を打つ房に戻りました。一局打ち終わったところで、一人の古老が立ちました。もうひとりは座ったままです。しばらくたつと、この座ったままの古老がかき消えるようにいなくなりました。
不思議に思って見ていると、ふたりは消えたり現れたりをくりかえしています。現れたと思うと消え、消えたと思うと現れるのです。
この様子を見て思いました。
「寺の他の比丘たちは『碁を打つ以外のことはしない』といって、軽蔑したり見下したりしていたが、まったくの間違いだ。彼らは貴い聖人だ。話を聞いてみよう」
陀楼摩和尚は二人の古老に問いました。
「どうしてただ碁を打つことで年月を過ごしているのですか。所行を見れば、証果の人(悟りを開いた人)だとわかります。そういう方がなぜですか。わけを教えてください」
二人の古老が答えました。
「私たちは、長く碁を打つ以外のことをしていません。黒が勝つ時は、煩悩が勝ったとき、白が勝ったときは、私の心の菩提が勝ったときです。煩悩の黒をおさえて、菩提の白が増えることを願っています。このことが私たちに無常を観じさせました。その功徳があらわれて、私たちは悟りを開くことができました」
陀楼摩和尚は雨のように涙を落としました。
和尚は言いました。
「徳行を隠し、人に知らせず、寺の者に不用だと思われてもつらぬいた。本当に貴い心だ」
房を出て何度も拝み、他の比丘にも語りました。これを聞き、比丘たちはおおいに悔い、悲しみ貴びました。
「私たちは愚かだった。こんな近くに証果の羅漢(悟りを開いた聖者)があったのに、長年軽んじ、侮蔑していたのだ」
(②に続く)
【原文】
【翻訳】
柴崎陽子
【校正】
柴崎陽子・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
柴崎陽子
陀楼摩和尚とは、あの縁起物として生産されるだるまさんのモデルとなった人(達磨大師、ボーディダルマ)と同一人物とされています。
達磨はとても逸話の多い人です。だるまさんが怖い顔をしているのも、手足がないのも、それぞれ伝説にのっとったものです。
禅宗(臨済宗、曹洞宗、黄檗宗など)の祖師とされていますが、『今昔物語集』はこれらの宗派の成立よりずっと早くつくられています。
この「碁を打つ老僧」の話は「宇治拾遺物語」にも見られます。
コメント