巻五第七話 生きている息子の肉を食べて生き残る王の話

巻五

巻5第7話 波羅奈国羅睺大臣擬罸国王語 第七

今は昔、天竺の波羅奈国(ヴァーラーナシー)に大王がおりました。寝ている間に王宮の守護神がやってきて、「羅睺(らご)大臣が王位を奪う為に大王を殺させようとしている。すぐに国の外へ出てお逃げなさい。」と大王に告げました。大王はこれを聞いて恐ろしくなり、后と太子と相談してひそかに国境を越えて逃げていく途中、取り乱して思い迷い、四十日かけて歩かなくてはいけない道に入ってしまいました。その道は険しく非常に困難で、水は無く喉が乾いて今にも死んでしまいそうです。言うまでも無く食料は尽きてしまい、もう生きていられそうもありません。

Varanasi

そして大王と后は大声をあげて叫んでは嘆き、「私たち3人はすぐにでも死んでしまいそうだ。いっそのこと私が夫人を殺してその肉を取って食べ、わたしと太子の二人の命を繋ごう。」と思い、剣を抜いて夫人を殺そうとすると、太子は父である王に「私は母の肉のかたまりを食べることはできません。それならば私の肉のかたまりを父と母に差し上げるべきです。」と言いました。王は飢えの耐え難さをこらえることができず、そう言われたとおり太子の肉を切り取りました。

先の道はまだ遠く、太子は更に手足の肉を切り取って与えました。切られた部分が悪臭を発して遠くまでそれが放たれたので、そのうち蚊や虻が競うように飛び回り、体の至る所にとまって食いつきました。その苦しみと痛みはひどいものでした。太子は「できることならば私は来世で悟りを得て、あなた方を飢えの苦しみから救いたいと思います。」と言いました。そうするうちに父と母は太子を見捨てて去ってしまいました。

その時に天帝釈がみすぼらしい獣に変身してやって来て、太子の体に残っていた箇所の肉に噛み付いて食べました。そして太子は「できることならば、わたしは困難ではあるけれども己の体を犠牲にすることによって最上の悟りを成し、この世に生きるすべてのものを迷いから救いたいと思います。」と誓って言いました。

そこで天帝釈はもとの姿に戻り、「あなたはこの上無いばか者です。最上の悟りというのは長い苦行を経て得ることのできるものです。あなたはなぜこのような施しをすることで悟りを得ることができるなどと思うのですか。」と問いました。太子は「わたしがもしもこれについて嘘をついているのであれば、私の体が元に戻る事はありえないでしょう。ただし本当であるのならば、体は元のように戻るはずです。」と言いました。

そして肉体は元のようになり、治ってしまいました。以前よりも容姿はずっと美しく整っています。すぐに立ち上がり、天帝釈を敬い拝みました。帝釈はあとかたもなく消え失せてしまいました。

父の大王は隣国の王のところまで行ってこれを話すと、隣国の王はそれを気の毒に思い、象兵・馬兵・車兵・歩兵の四種の兵をあげて羅睺大臣を攻めました。ついには攻め落として制裁を与え、大王は本国に帰還して以前と同じ位につきました。太子もまた本国に戻り、やがて国位を譲り受け、父と同じように国を統治しました。

この太子の名前を須闡提(すせんだい)太子といいます。今でいう釈迦仏がこれにあたります。羅睺大臣というのは、今でいう提婆達多(だいばだった)である、そう語り伝えられています。

【原文】

巻5第7話 波羅奈国羅睺大臣擬罸国王語 第七
今昔物語集 巻5第7話 波羅奈国羅睺大臣擬罸国王語 第七 今昔、天竺の波羅奈国に大王御けり。寝給へる間に、宮を守る神来て、大王に告て云く、「羅睺大臣有て、国位を奪はむが為に、大王を害せむとす。速に境を出でて逃げ給へ」と。大王、此れを聞て、恐ぢ怖れて、后・太子と議(はかり)て、密に国の境を出給て、逃げ行く程に、心誤り...

【翻訳】
濱中尚美

【校正】
濱中尚美・草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
濱中尚美

生きている息子の肉を泣く泣く食べて生き残る王という生々しい描写が衝撃的な話と思いきや、じつはそれはこの話の結構マイナーな部分でしかないのかもしれない。登場人物の背景を調べていくとどんどん深みにはまっていってしまうお話です。

巻5第6話で「逆罪」の意味を学びましたが、このお話も同じく逆罪を避けるためには母の肉を食べてしまうなんて滅相も無い、それは基本中の基本事項だったのだと思います。

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太子が天帝釈に対して自分は嘘をついていないと言う場面があります。仏教が教える煩悩のひとつに誑(おう)というものがあります。

誑:自分だけの利益や世間の評判(名聞利養)を得ようとして、様々なはかりごとを心に秘めて、自分が徳のある人物であると見せかける偽りの心である。ウィキペディア

天帝釈はそういった点を踏まえて太子の体の復活に重要な役割を果たして消えていった、そういうことなのでしょうか?
天帝釈(帝釈天)の姿と名前は日本・中国・インドそれぞれの地で当然異なりますが、ちょっと面白いので比べてみてください。

帝釈天半跏像(京都 東寺)

帝釋天(中国)

Indra(帝釈天、インド)

そしてこの太子が後に釈迦(しゃか)になり、そして太子に敵対する立場の羅睺大臣が、釈迦の暗殺を数度企てたとされる従兄弟にあたる提婆達多だろう、という構図が浮かんできます。釈迦の前世の物語が含まれる本生経(ジャータカ)でもこの二人の因縁が読み取れるそうです。こわいですね。そして提婆達多は逆罪を犯してしまったために成仏できなかったとされています。

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そしてさらに怖い話は続きます。今昔物語集の元をたどるとインドに着きますが、このお話が中国を経て日本へ伝わる上で重要な人物が知る人ぞ知る玄奘三蔵さん。7世紀という昔に中国からわざわざインドまで行って、仏教を伝えるために中国に帰った偉いお坊さん。ありがたいです。そして彼は見た。提婆達多が生きながら地獄に堕していった穴を。そして提婆達多が提唱したとされる五事の戒律を守り続ける教団の存在を目撃したと。(ウィキペディア

さて都市伝説の絶えない21世紀、提婆達多の影はどこかに未だ潜んでいるんでしょうか。

巻五
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今昔物語集 現代語訳

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