巻六第三十話 胎蔵界の曼荼羅を念じて海難から救われた話

巻六(全)

巻6第30話 震旦沙弥念胎蔵界遁難語 第三十

今は昔、震旦(中国)の大興善寺の灌頂の阿闍梨(僧の資格を与える高僧)に恵応という人がありました。その弟子に沙弥(小僧)がひとりありました。七歳のときから師の阿闍梨に仕え、昼夜奉仕していました。

大興善寺山門

十七歳になったとき、縁があったのでしょうか、この沙弥は船に乗り、新羅(朝鮮半島の国)に渡ることになりました。航海に出たとたん、悪風にあいました。船は転覆し、船上の五十余人の人が海に没しました。泳ぎつくべき陸地も見えず、まさに死のうとしていました。

沙弥は心をつくして胎蔵界の聖衆を念じました。
「海会(海のように深い徳を備えた)の聖衆よ、大悲の心を発したまえ。この船の衆の難を救いたまえ」
そのとき、夢を見るように、聖衆が虚空に輝く星のような光を散じました。

胎蔵曼荼羅中台八葉院

五十余人の船の衆は、いつに間にか岸の上にありました。海に沈まず、溺れず、ひとところに集まっていました。みなかぎりなく喜びました。
実に、希有中の希有のできごとです。助かった五十余人のうち、二十余人は聖衆を見ました。まさに不思議でした。

これを聞き、心を至して胎蔵界の曼陀羅を礼拝する人が多くなったと語り伝えられています。

胎蔵界曼荼羅(室町時代、奈良国立博物館)

【原文】

巻6第30話 震旦沙弥念胎蔵界遁難語 第三十
今昔物語集 巻6第30話 震旦沙弥念胎蔵界遁難語 第三十 今昔、震旦の大興寺の灌頂の阿闍梨恵応と云ふ人有けり。其の所に一人の沙弥有り。年七歳より師の阿闍梨に仕へて、昼夜に奉仕す。

【翻訳】 西村由紀子

【校正】 西村由紀子・草野真一

【解説】 草野真一

大興善寺は長安(陝西省西安市)の名刹である。善無畏、金智剛、 不空(密教の祖といわれるインドの人)らはここで密教を伝えた。中国密教、そして日本密教のルーツだ。
長安は内陸であるから、新羅に行くのは陸路も海路もたいへんな長旅になる。「縁があったのだろう」という記述は興味ぶかい。

国東文麿氏は『今昔物語集(六)』の中で、「会昌の廃仏」との関連を指摘されている。出典は中国の仏教説話集『要略録』。

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【協力】ゆかり・草野真一

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