巻6第33話 震旦王氏誦華厳経偈得活語 第卅三
今は昔、震旦(中国)の京師(けいし、都)に人がありました。姓は王氏、戒律を守らず、善を修することもありませんでした。
文明元年(684年)王氏は病にかかり死にました。しかし、左右の脇は暖かであり、三日後に蘇生しました。身を大地に投げだして泣き悲しみ、冥途の事を語りました。云く、
「私が死んだとき、二人の冥官が来て、私を地獄の門へと追い立てた。そのとき、一人の沙門(僧)があらわれて、私に言った。
『私は地蔵菩薩である。汝が京城(京師)にあったとき、私の形像一躯をつくった。それは、供養する前に投げ棄てられた。しかし、私の像をつくった恩に報いよう』
一行の偈を教え、誦させた。
若人了知 三世一切仏 応当如是観 心造諸如来 云々
(もし人が三世<過去現在未来>一切の仏を知りたいと思うなら、このように観ずればよい。心に諸如来をつくれ。 云々)
沙門はこの偈を伝えると言った。
『この偈を誦すれば、地獄の門を閉め、浄土の門を開くことになるだろう』
私はこの偈を受け得て、閻魔の城に入った。
閻魔王は問うた。
『おまえはどんな功徳がある』
『私は愚痴であったために、善を修せず、戒を保ちませんでした。ただ、四句の偈を受持しています』
王は言いました。
『今、誦してみよ』
私は習ったとおりに偈を誦した。
そのとき、声のとどく場所にいた罪人は罪から免れた。王もまた、私がこの偈を誦するのを聞き、恭敬して、『すみやかに人間界に戻れ』とおっしゃった。これが蘇生の理由である」
その後、多くの僧に向かって、このことを語りました。
華厳経の功徳は無量です。たった四句の偈を誦したのみでもこのようなことが起こりました。まして、これを解説し、書写・供養する人の功徳をははかりしれないと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【協力】株式会社TENTO・草野真一
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