巻七第十三話 無量義経を伝えた僧の話

巻七

巻7第13話 恵表比丘無量義経渡震旦語 第十三

今は昔、震旦の南斉の時代に、武当山という山に恵表比丘という僧が住んでいました。仏法を熱心に求道し、建元三年(481年)に、嶺南へ行って広州の朝亭寺において、中天竺から渡来してこられた遊行僧の曇摩伽陀耶舎にお目にかかって無量義経を教え授かりたいと思いました。そこで誠心誠意願い授けていただき、やっとただ一本のみを受け取ることができました。
恵表はすぐにこの経を武当山に持ち帰って、常に身近に置いて深く信仰しました。

その後、永明三年(485年)の九月十八日に恵表はこの経を世の中に拡めようと思い、大切に携えて武当山を出ました。途中、山中で一夜を過ごそうとしていますと、日が暮れて間もない時に突然一人の天人が恵表の前に御姿を現しました。百とも千とも見える天の衆生を侍者として、無量義経と恵表とを供養なさいます。

恵表が「天人がどのような訳で、お出でになったのでしょうか」と尋ねましたところ、天人は「我々は武当山に住んでいた青雀(アオガラ)です。群れ集まって、比丘が無量義経を読誦しているのを聴きましたために、命尽きた後、忉利天に転生しました。その恩に報いようと思いましたので、ここへ来て供養するのです。我々の元の体はあの山の西南の方にあります。皆、一所に集まって身を捨てたのです」と告げ終わるとたちまち消えてしまいました。恵表がこれを聞いて使いの人を頼んで武当山に調べに行ってもらいますと、確かに天人がおっしゃった所に多くの青雀が死んでいました。恵表はその後無量義経を世に拡めました。

アオガラ

ところが、この無量義経を信じようとしない人がいました。「この経がどうして法華経の序分であるべきだと言うのだろうか」とこのように思っておりましたところ、その人の夢に一人の神が現れました。身の丈一丈余り(約3メートル)で黄金の鎧を身につけ、鋭利な剣を持っており、とても恐ろしい様子です。この不信心な人を大声で叱責し、「お前がこの経を信じぬのなら、今すぐにもその頭と首を斬り落としてくれる。この経こそは法華経の序分なるぞ。一度でも聞いた者は必ずや菩提心を起こし、それがやむということはないのだ」とおっしゃいました。夢から覚めたこの人は自らの過ちを大いに悔いて謝罪したと語り伝えられています。

紺紙金字無量義経(平基親願経 平安時代 東京国立博物館)

【原文】

巻7第13話 恵表比丘無量義経渡震旦語 第十三
今昔物語集 巻7第13話 恵表比丘無量義経渡震旦語 第十三 今昔、震旦の□□代に、武当山と云ふ所に、恵表比丘と云ふ比丘、住けり。 懃(ねんごろ)に仏の道を求めむが為に、建元三年と云ふ年、嶺南に至て、広州の朝亭寺にして、中天竺より渡れる沙門、曇摩伽陀耶舎に値て、「無量義経を伝へむ」と思ふ心を至して、此れを請(もとむ...

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

【解説】 昔日香

※武当山…湖北省十堰市にある山。又の名を太和山という。周囲400km、72峰からなる広大な山で、主峰は天柱峰(標高1612m)。山脈中には百を超える道観(道教寺院)群がある

武当山

※嶺南…中国南部の「五嶺」(南嶺山脈)よりも南の地方を指す。現在の広東省、広西チワン族自治区、海南省の全域と、湖南省、江西省の一部にあたる。中国の他の地域とは五嶺で隔絶され、気候や環境も異なっており、若干異なった文化や習慣を有している

※曇摩伽陀耶舎…どんまかだやしや。中国・南北朝時代の斉に活躍した経典の翻訳者で、大乗経典の『無量義経』を訳出した

※無量義経…大乗経典。一巻。481年成立。法華三部経の一。法華経の序論に当たる開経とされ、無相の一法から無量義、実相の諸法が生じることについて説いたもの

※忉利天…仏教の世界観において、欲界における六欲天の第二の天である。意訳して三十三天ともいう。須弥山の頂上にあり、帝釈天をはじめ、三十三の天部や神々が住むとされる。釈迦の生母である摩耶夫人は死後ここに転生したとされ、悟りを開いた釈迦がこの地に登って摩耶夫人や天部に説法し、三道宝階と呼ばれる階段によって、地上の僧伽施国に戻ったという伝説がある

序分…経典などの全体を三つに分けた場合の、序にあたる部分。その経典の縁起・趣旨などを説いた部分

菩提心…さとりを求める心。または「生きとし生けるものすべての幸せのため、自分自身が仏陀の境地を目指す」という請願と、その実現にむけて行動する意図をいう。大乗仏教に特有の用語である。菩提心は阿耨多羅三藐三菩提心の略とされ、無上道心、無上道意、道心ともいう

阿耨多羅三藐三菩提心…あのくたらさんみゃくさんぼだいしん。阿耨多羅は「これ以上、上がない」という意味。三藐は「正しい」という意味。「三菩提」は「完全な悟り」という意味。大乗仏教では、阿耨多羅三藐三菩提心を実現しようとする人を菩薩と呼ぶ。菩薩は六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を修行して、阿耨多羅三藐三菩提を実現する

 

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