巻7第15話 僧為羅刹女被嬈乱依法力存命語 第十五
今は昔、震旦の周辺にある国に一つの山寺がありました。その寺には年若い僧が住んでいて、法華経を読誦することを常としていました。
この僧がある日の夕方、各地で経を説いているとき、羅刹女に出会いました。鬼が人の女にすがたを変えたものです。そのすがたはとても美麗でした。女は僧の方へ寄って来て、色気たっぷりにしなだれ掛かりました。僧は鬼女のなまめかしい美しさにたちまち心を乱され、やがて交合してしまいました。関係を持った後には、僧の意識はぼんやりして、本心ではなくなっていました。
女鬼は僧を住処に持って行って喰おうと思い、背負って空中を飛んで行きますと、日が暮れて夜に近づきました。女鬼は一つの寺の上空を過ぎようとしていました。僧は鬼に背負われていましたが、この寺で法華経を読誦している声がかすかに聞こえ、ぼんやりしていた意識が少しずつ覚めて本心を取り戻し、心の中で法華経を暗誦しました。
すると、背負っていた僧がどんどん重くなり、女鬼の飛ぶ高さも少しずつ低くなって地面に近づいていきました。ついに背負っていられないほど重くなってしまったので、女鬼は僧を捨て去っていきました。僧の意識ははっきりしましたが、自分がどこに連れてこられたのか全くわかりませんでした。
その時、寺の鐘が鳴る音が聞こえました。僧はその鐘の音を頼りに寺を訪ね、門を叩きました。門が開きましたので、僧は進み入って、自分の身に起こった事を有りのままに語りました。これを聞いた寺の僧たちは、「この僧は重い罪を犯してしまったのです。我らはこんな者と席を同じくするべきではありません」と言いました。
ところが、修行を積み、この寺を指導する立場である一人の僧が「この人は鬼にたぶらかされて、本人の意思が働かない状態だったのです。まして、法華経の威力をまさに顕した人なのですから、すぐに寺の中に住ませて差し上げましょう」と言って、この僧に女鬼と交合した過ちを懺悔させました。
僧はかつて住んでいた寺を語りました。この寺から二千里余り(およそ850キロメートル)ほど離れていました。偶然、里の人がやって来て、元の寺に連れ帰ってくれました。
法華経の霊験は本当に驚くべきものです。「女鬼が僧を住処に連れて行って喰おうとして、背負って二千里余りもの距離を一時に飛び渡ったものの、僧が法華経を読誦した途端に重くなってしまったので棄てて去ったというのは、実に不思議なことである」そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一


●英訳

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