巻七第十六話 霊も神も恐れた僧の話

巻七

巻7第16話 震旦定林寺普明転読法花経伏霊語 第十六

今は昔、震旦の定林寺という寺に一人の僧が住んでいました。普明という名で、臨渭の出身です。幼いときに出家して、清い心を保ち、その誓願は弘いものでした。懺悔の行を常に行い、また、寺の外に出て遊行することはありませんでした。

普明は法華経を読誦することを旨とし、また、維摩経の転読も行っていました。普明が法華経の普賢品を読誦いたしますと、普賢菩薩が六牙の白象に乗って光を放ちながら御姿を現しますし、維摩経を読誦いたしますと、伎楽や歌詠が虚空に満ち満ちて、その妙なる音を聴くことが出来るのです。また、普明が神呪をもって祈りますと、それらは皆大いなる霊験を顕すのでした。

さて、ここに王道真という人がいました。妻が重い病で、その苦しみ痛みは耐え難いものであったため、すぐに普明に、祈祷していただきたいと請いました。普明が王道真の要望に応えるためその家に行きましたところ、門を入ろうとした途端に、王道真の妻はあまりの苦痛に気絶してしまいました。その時普明は何か生き物を一匹見つけました。狸に似ていて、長さは数尺ほどです。それは犬の出入りする穴から出ていきました。すると王道真の妻の病は快癒したのです。王道真は大層喜んで、普明に感謝の心を伝えようと礼拝しました。

またある時、普明が道を歩いて行きますと、一人の人が、水辺で神を祭っていました。その場所に巫がいて、普明に向かって言いました。「あなたを見たので、神は皆走り去ってしまいました」これは、神が普明を見て、恐れて逃げたということでありましょう。

普明がついに寿命尽きて臨終を迎えた時、身体は病にかかっていましたが、その苦痛は少なく、正座をして姿勢を正し、仏に向かい奉って香を焚き、仏を念じて命を終えたと、そう語り伝えられています。

絹本着色普賢十羅刹女図(岡山県岡山市西大寺)

【原文】

巻7第16話 震旦定林寺普明転読法花経伏霊語 第十六
今昔物語集 巻7第16話 震旦定林寺普明転読法花経伏霊語 第十六 今昔、震旦の定林寺と云ふ寺に、一人の僧住けり。名をば普明と云ふ。臨渭の人也。幼少にして出家して、心清く、誓ひ弘し。常に懺悔を行ずるを以て業とす。亦、寺の外に遊行する事無し。

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

【解説】 昔日香

※定林寺…南京市江寧区の房山北西麓に位置している。南朝劉宋の元嘉十六年(439年)、異国の商僧・朱法秀(カシミールの人)が建康の中山に上定林寺を建立したが、後に廃寺となった。この話にある定林寺とはこの上定林寺のこと

※臨渭…甘粛省天水市秦安県の東南

※誓願…何としてでも衆生を救いたいと願う仏・菩薩の慈しみの心=大慈悲心からおこされるもので、菩薩が修行を始めるときには、四弘誓願を立てた

※四弘誓願…大乗仏教の菩薩が初発心時に必ず立てなければならない四つの誓いのこと。 ①すべての衆生を救おう(度)、②すべての煩悩を断とう(断)、③すべての教えを学ぼう(知)、④この上ない悟りを得よう(証)、という四つの根本的な誓い

※懺悔…悔過(けか)ともいい、自ら犯した罪過を仏や比丘の前に告白して忍容を乞う行儀。中国仏教においては、忍んで赦してくれるよう乞う意の「懺摩(さんま)」と、過去の罪過を追悔する意の「悔」との合成語とした。律では満月と新月の説戒や夏安居の終了日に、戒本を誦し、違反した罪を1人(対首懺)ないし4人(衆法懺)の大僧に告白した行儀で、罪の告白と称した。大乗仏教では十方仏や諸仏を礼して身口意三業の罪やあらゆる罪過を発露し懺悔する行儀となり、中国ではこれが特定の儀礼となって懺法の儀則が成立した

※普賢品…法華経二十八品の最後におかれる。正しくは普賢菩薩勧発品。東方の宝威徳上王仏国から法華経を聞きにきた普賢菩薩がその概要を聞いただけで感激し、「後世においてこの教えを受持するものを必ず守護しよう」と言うと、釈迦がほめて「普賢菩薩と同様の行をなすものを、我も守護しよう」と仰った。つまりこの品は、末世の法華経行者を激励する章である。普賢菩薩は(理・定・行)をつかさどる菩薩とされ、白象王に乗って出現することが象徴しているように、他の二徳よりも徹底した行の典型である。法華経の始めは智の文殊菩薩で、中盤の《如来寿量品》においては慈の弥勒菩薩だった。結びに行の普賢菩薩が登場するのは、法華経の教えを聞いて諸法実相の智慧を知り、久遠本仏の大慈悲に生かされている真実にめざめた者もその教えを実践しなければ意味をなさないからであるとされる

※維摩経…維摩経は初期大乗仏典で、全編戯曲的な構成の展開で旧来の仏教の固定性を批判し在家者の立場から大乗仏教の軸たる「空思想」を高揚する。内容は中インド・ヴァイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。維摩が病気になったので、釈迦が弟子達や菩薩にも見舞いを命じたが、以前に維摩にやりこめられているため、誰も行こうとしない。そこで文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。維摩経は明らかに般若経典群の流れを引いているが、大きく違う点もある。一般に般若経典は呪術的な面が強く、経自体を受持し読誦することの功徳を説くが、維摩経ではそういう面が希薄である。般若経典では一般に「空」思想が繰り返し説かれるが、維摩経では「空」のような観念的なものではなく現実的な人生の機微から入って道をきわめることを軸としている

維摩居士像(南宋、13世紀 京都国立博物館)

※神呪…インド古来の民間信仰にある呪術が古代仏教に一部取り入れられ、心真言として治病などのために用いられたもの

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