巻七第十七話 鬼を捕まえた僧の話

巻七

巻7第17話 震旦会稽山弘明転読法花経縛鬼語 第十七

今は昔、震旦の会稽山に一人の僧が住んでいました。名を弘明(ぐみょう)といいます。幼少の頃に出家し、戒律を良く守り、禅定を修めました。かつては山陰雲門寺という寺に住み、昼夜を問わず法華経を転読し、六時には三宝(仏法僧)を礼拝し、懺悔することを怠りませんでした。
そのころ、人が汲み入れたわけでもないのに、瓶の水が毎朝自然に満ちていました。これは諸天童子がやっていることでした。

雲門寺に住んでいたころ、仏前に座し、静かに経を読誦していると、虎がやって来てお堂の中に入り、床に臥せました。弘明が見ていますと、虎は床に座したまま全く動こうとしません。虎は弘明が経を誦しているのをしばらくの間聴いてから、立ち去りました。

またある時、弘明がふと見ますと、一人の幼い子どもがいずこからともなく現れて、弘明が法華経を読誦するのを聴いています。弘明が「お前は誰かね」と尋ねますと、その子は答えました。「私は、昔この寺におりました沙弥(小僧)でございます。帳台の下の食物を盗み食いするという罪のために、今はこちらの厠の下に堕とされています。しかし、聖人の修行の様子をお聞きしましたので、こちらに参って法華経を読誦されるのをお聴きしておりました。どうかお願いです。私をこの苦しみから救い出していただきたいのです」弘明はすぐ子どもに法を教え導きました。子どもは経を聴くと悟りを開き、そのまま姿を消しました。

その後、弘明は永郷に行き、石姥巌で禅定に入りました。するとそこに山の精である鬼が現れ、弘明を悩ませましたので、弘明はその鬼を捕まえて、逃げられないように縄で繋ぎました。鬼は過ちを謝罪し、「もう二度と聖人の前に姿を現しません」と言って、放してくれるように乞いました。弘明はこれを聞いて哀れに思い、鬼を解き放って許してやりました。その後、鬼は姿を消し、二度と現れることはありませんでした。

また、元嘉年間(424~453年)に、郡の守である平昌の孟顗が弘明の実直な人柄を重んじて、新安に招いたため、弘明は行って寺院に留まりました。その後、済陽の江斉が永興邑(ゆう、村)に昭玄寺を建立し、弘明を招きましたので、弘明は行ってそこに住みました。

また、大明年間(457〜464年)の末頃になりますと、陶里の薫氏も、自らの邑に弘明のために栢林寺を建立いたしましたので、弘明はそこへ行って禅戒を修めました。そして、ついにその栢林寺にて、命を終えられたと、語り伝えられています。

【原文】

巻7第17話 震旦会稽山弘明転読法花経縛鬼語 第十七
今昔物語集 巻7第17話 震旦会稽山弘明転読法花経縛鬼語 第十七 今昔、震旦の会稽山と云ふ所に、一人の僧住けり。名をば弘明と云ふ。幼少にして出家して、戒を持(たも)ち、禅定を修す。山陰の雲門寺と云ふ寺に住して、昼夜に法花経を転読して、六時に礼懺を行ずる事怠らず。

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

【解説】 昔日香

※会稽山…浙江省紹興市南部に位置する山。中国の歴代王朝で祭祀の対象となり、五鎮名山の中の南鎮とされる。山麓には長江流域最古の新石器文化を示す河姆渡遺跡が存在し、古くからの人類の活動が確認できる地域である。越王勾践の故事「会稽の恥」でも知られる

会稽山

※禅定(ぜんじょう)あるいは禅那(ぜんな)…仏教で心が動揺することがなくなった一定の状態を指す。サンスクリット語の dhyāna の音写である禅と、訳した定の複合語で、静慮とも訳される

※諸天童子…神通力によって現れた諸天の子どもたち。諸天とは、天上界にあって仏法を守護する諸神を指す。欲界六天・色界十八天・無色界四天をあわせた三界二十八天の総称とも言われる

※沙弥…僧伽に属してはいるが、具足戒をまだ授けられておらず、僧伽の正式なメンバーとなっていない「見習い僧・小僧」。仏教の在家信徒は、「三帰依」を誓い、通常は「五戒」、「八斎戒」の二種類の戒を守ることが求められるが、沙弥には代わりに「三帰依」を誓った後「十戒」が授けられる。通常20歳になって具足戒を授けられることで、正式な僧伽の一員である比丘となる

※具足戒…具戒、進具戒、大戒などとも呼ばれる。比丘が受持すべき戒法として、四波羅夷、十三僧残、二不定、三十捨堕、九十単堕、四波羅提提舎尼、百衆学、七滅諍の250の戒を含む。出家して悟りを開こうとする者は具足戒を受けて初めて出家者の集団(僧伽)に入ることができる

※永郷…現在の浙江省華山辺り

※平昌…現在の浙江省麗水市遂昌県

※新安…現在の浙江省杭州市から安徽省黃山市に跨る地域

※精舎…仏道の修行を行う場所

※済陽…現在の河南省開封市蘭考県辺り

※邑(ゆう)…古代中国の集落や都市国家を指す。同姓の一族による氏族共同体で、土塁で囲まれた囲壁をめぐらしていた。邑が解体され家父長制が発展してからも県の雅号として使われた

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