巻7第21話 豫州恵果読誦法花経救厠鬼語 第廿一
今は昔、震旦の豫州(よしゅう)に恵果和尚という聖人がいました。広大な慈悲心を持って人々に功徳を与えるさまは、まるで仏のようでした。南京の瓦官寺(がかんじ)という寺に長く住んで、法華経や十地経などを読誦することを常日ごろの勤めとしておりました。(また、昔から三蔵法師不空を師と仰いで三密の教えを受け習い、真言の経を世の中に拡めました。解説参照)
さて、この和尚が以前、厠の前で一匹の鬼と遭遇したことがありました。鬼は見るも恐ろしい姿をしていました。和尚を見ると、礼儀正しく申しました。「私は昔、前世で多くの修行僧たちのために維那(解説参照)の役を勤めていました。ところが、いささか過ちを犯してしまったことで、今や糞を喰らう鬼に堕ちてしまいました。聖人は徳が高いため行いの報いも明らかにすることができ、広大な慈悲心を持っておられるのでご利益も素晴らしいと聞き及んでいます。お願いです。私をこの苦から救い出してください。私はかつて三千という財をこれこれの場所にある柿の木の下に埋めました。それを掘り起こして、私のために功徳を修してください」
和尚は鬼の言うことを聞いて、大層哀れに思い、すぐに寺の僧たちにこのことを告げました。鬼が教えたところに行って掘ってみると、まさに鬼が言った通り、三千の財を掘り出しました。和尚はすぐさま法華経一部を書写して皆を集めて会をしつらえ、この鬼を供養しました。
その後、和尚はあの鬼の夢を見ました。鬼は和尚のところにやってきて、敬い奉り、礼拝して申しました。「聖人の徳のお陰をもって、私は既に鬼道から免れ、転生を果たすことが叶いました。」和尚はそれを聞いたかと思うと、夢から覚めました。
この後和尚は法華経の威力を改めて眼前にしたことをますます貴んで、寺の僧たちにこの話を語り聞かせ、拡められたと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香・草野真一
恵果…長安の青龍寺で空海に密教を授けた人である。真言宗にとって、いや日本にとってたいへんな重要人物である。
しかし、この話の主人公である恵果は、空海の師の恵果ではない。空海の師は南京に滞在したことはないし、瓦官寺にいたこともない。法華経や十地経も、真言宗では重んじられていない。不空(恵果の師)や密教に関するいくつかのタームは、「恵果」を空海の師と誤ったために追加されたものである。元となる漢籍にはこの記述はない。
※和尚…修行を積んで一人前と認められた僧侶、師匠や親教師、戒律を授ける者等の意味で用いられる
※十地経…大乗経典の一つ。大菩薩の修行の階位を十の段階に分けて説く。本来は独立した経典であったが、後に華厳経の一章(十地品)として収められた
※維那…いな、いの、いのう等と呼ばれ、寺中の事務を司る役名で、三剛(上座、寺主、維那)の一。衆僧の綱紀を司り、修行僧の手本となり、皆が和合するように務める役位
※糞を喰らう鬼…餓鬼道に堕ちたものには三種類あり、本話に出てくる鬼は少財餓鬼(食糞)
・無財餓鬼:何かを飲食しようとすると炎になり、何も食べられず常に飢えている。施餓鬼供養されたものだけは、飲食できる
・少財餓鬼:人間の糞尿や嘔吐物、血、膿、屍など、不浄なものだけを少量飲食することができる
・多財餓鬼:人の残した物や、人から施されたものを多く飲食できるが、満ち足りることはない
※食糞(じきふん)…僧に対して不浄な食物を与えたもので、糞尿の池で蛆虫や糞尿のみを飲食する。転生できたとしてもほとんど人間には転生できない

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