巻七第二十二話 生き返って経を書写した僧の話

巻七

巻7第22話 瓦官寺僧恵道活後写法花経語 第廿二

今は昔、震旦の南宋の時代、瓦官寺に一人の僧が住んでいました。名を恵道といいます。豫州の人でした。この人は恵果和尚と母を同じくする弟です。恵道は一生の内に功徳を修めるなどということはありませんでした。世渡りが上手く財を好むのみで、他の(本当に知るべき)ことは何も知りませんでした。

ある時、恵道は重い病にかかって死にました。その三日後に息を吹き返して語りました。

「私は死ぬと、冥府の役人に引っ立てられて闇の中の遠い道を進んでいきました。その時一人の僧が出て来て私にこう言ったのです。『そなたはこれから閻魔王のところへ行く。閻魔王に何か聞かれたら「私は昔、法華経八部を書写しようという誓願がありました」と答えなさい』そう私に教えたかと思うと、姿を消しました。

私はすぐに閻魔王の前に連れて行かれました。閻魔王はこちらを見ると『お前は生前どのような功徳を修めたか』と問いました。私はあの僧が教えてくださった通りに答えました。『法華経八部を書写しようという誓願がありました』閻魔王はそれを聞いて笑みを浮かべ『お前には誓願があるのだな。もし書写した法華経が八部に至れば、八大地獄に堕ちることから免れるだろう』と言われたかと思うと、息を吹き返しました。私はあの僧の一言の教えによって人間界に戻って来ることができたのです」

こう語った後、恵道は泣く泣く持っていた財宝を捨て去り、法華経八部を書写し、誠意を尽くして供養し奉ったと、語り伝えられています。

閻魔大王坐像(神奈川県鎌倉市円応寺)

【原文】

巻7第22話 瓦官寺僧恵道活後写法花経語 第廿二
今昔物語集 巻7第22話 瓦官寺僧恵道活後写法花経語 第廿二 今昔、震旦の宋の代に、瓦官寺と云ふ寺に、一人の僧住けり。名をば恵道と云ふ。豫州の人也。此れ、恵果和尚の同母の弟也。此の恵道、一生の間、功徳を修する事無し。只、財を好て世を渡る。全く余の事を知らず。

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

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