巻7第23話 震旦絳州孤山僧写法花経救同法苦語 第廿三
今は昔、震旦の絳州(こうしゅう)に、ひとつだけぽつんとそびえている山がありました。永徽(650~655年)の頃、この山の寺に二人の僧がいて、同じ房に住んでいました。一人は名を僧行といい、三階の仏法(解説参照)を行っていました。もう一人は僧法という名で、法華三昧を行っていました。二人はともに仏法を修行して、どちらも同様に迷いを捨て悟りの境地に達することを誓願していたのです。
ところが、僧行は先に死んでしまいました。その後僧法は観世音菩薩に「僧行の転生した所を知りたい」と祈りました。
それから三年が過ぎ、僧法は夢で地獄に行きました。業火が激しく燃え盛り、近づくこともできません。鉄条網を七重にも重ねてその上を塞いでいます。前後左右の鉄の開き戸は固く閉ざされて、蟻の這い出る隙もない堅牢さです。中では百千もの僧たちが、護るべき浄戒を犯し、心身を清らかに調えていなかったために皆ここに堕とされて、量り知れぬほどの苦を受けているのでした。
その時僧法は獄卒に「この中に僧行という僧はいますか」と尋ねました。獄卒は「いる」と答えました。僧法は「私は僧行をひと目見たいのです」と頼みました。獄卒は「彼は罪が重い。見ることなどできない」と答えました。僧法が「私たちはともに出家して戒を受けた仏弟子です。どうしてひと目見るというだけのことを惜しまれなければならぬのです」と言うと、獄卒は鉾の鋒(きっさき)で真っ黒な炭を刺し貫き、「これが僧行だ」と言いました。僧法はこれを見て嘆き悲しみ、「沙弥(しゃみ、受戒してない者。僧の見習い)僧行よ、仏弟子であったはずのあなたがどうしてこんな苦を受けているのでしょう。願わくは、昔の姿を見たいものです」と言いました。
すると獄卒が「生き返れ」と言った途端、僧行は昔の姿に変わりました。しかし身体中至るところが焼け爛れ、見るも無惨な姿です。僧法はこれを見て更に嘆き悲しみました。僧行が僧法に「私をこの苦から救ってくれませんか」と言いますので僧法が「あなたを救うためには何をすればいいのですか?」と尋ねますと、「私のために法華経を書写してください」と言います。「どのように書写したら良いのですか」と問いますと「一日で一部を」と言います。僧法が「私は修行が足りません。どうして一日で法華経一部全てを書写することができましょうか」と言いますと、僧行が「私のこの苦はとても耐え難いので、刹那であっても忍んでいることができないほどです。一日でも激しく行をおこなってもらわなければ、どうして苦に耐えることできるでしょう」と言ったのを聞いたかと思うと夢から覚めました。
僧法は即座に飛び起き、すべての財を投じて四十人の書き手を雇い、一日で法華経一部を書写し奉って、心を込めて僧行のためにと供養しました。
その夜、ある人が夢で「僧行がたちまち地獄を離れ、忉利天に転生した」ところを見た、と語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※三階の仏法…信行(540~594年)を開祖とする一宗派。人々の仏道修行の素質・能力の違いに応じて第一階・第二階・第三階の仏法を説き、悪仏を含む全ての仏・法・僧・衆生に価値判断を加えることなく普く真で正しいものとして受け入れる普真普正仏法の実践をめざすもの。異端として禁圧され、やがて衰微した。この話で僧行が地獄に墜ちたのは、これを学んでいたためである
※法華三昧…法華経を通して真理に至り、悟りの境地に達する方法。法華経・観普賢経によって真理を観ずること。また、その境地に達するために法華経などを音読すること
※浄戒…仏によって定められた清浄で正しい戒。大乗仏教では、菩薩が受ける下記の三種類の戒を「三聚浄戒」と言う。
・摂律儀戒:戒めを守り一切の悪を防ぐ戒
・摂善法戒:進んで善を行う戒
・摂衆生戒:全ての衆生を教化し益することに努める戒


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