巻七第二十四話 猿に経を講じた話

巻七

巻7第24話 恵明七巻分八座講法花経語 第廿四

今は昔、震旦に恵明という僧がいました。出身地も、出家前の俗姓も分かっていません。
智恵の並外れて明瞭な人でした。幾度となく仏法の真理を理解し、常に法華経を講じていました。

あるとき、山奥深くに分け入り、岩の洞窟に座して法華経を講じましたところ、多くの猿(獼猴、解説参照)が集ってその教えに聞き入りました。

三月後の夜、その洞窟の上に一つの光明が灯りました。光明は次第に洞窟の入口に近づき、光の中から声がして、恵明に向かって言いました。

「私はかつて、師が法華経を講じましたときに聴きに集った猿たちの中にいた、老いて盲目となった猿でした。師が講じた経をお聴きした功徳により、命尽きたあと、忉利天に生まれたのです。転生する前の元の体は、この洞窟から東南に70歩あまり外に歩いたところにあります。『師から受けた御恩に報いたい』と思ってこちらに来たのです。願わくば、また法華経を講ぜられるのをお聴きしたいと思います」

恵明が「どう講じましょうか」と問いますと、天人は「私は早く天に帰らねばなりません。ですから師よ、一部を八つに分けて講じてください」と答えました。恵明は、「私の持つ経は全七巻ですから、七座にするべきでしょう。なぜ八座にしなければならないのですか」と言いました。

天人は言いました。「法華経は元々釈尊が八ヵ年かけて行われた説法をまとめた教えです。しかし、もし八年かけて講じるのなら、それはあまりに長すぎます。ですから、願わくば、ただ八座を開いて八年分の説法としてください」

そのため、七巻を八つの軸に分けて、天人のために講じました。すると天人は八個の真珠を恵明に布施し、次のような偈(韻文、詩)を唱じました。

釈迦如来避世遠
(釈迦如来はこの世を遠く離れ)
流伝妙法値遇難
(その教えである法華経は広く流伝したといえども、巡り合うことは難しい)
雖値解義亦為難
(巡り合ったとしてもその意味を理解することはなお難しく)
雖解講演最為難云々
(理解できたとしてもそれを講ずることはさらに困難である)

天人はこの偈を唱えてから、「この偈を一句でも、一瞬間でも聞いた者は、三世(過去・現在・未来)の罪が滅却され、自然と悟りの道へ至ることは疑いのないことです」と言いました。そして「私は今、師が経を講じてくださったのをお聞きしたことで、畜生の体を捨てて忉利天に転生し、そこに古くからいる天人たちの誰よりもその威光は勝れています。このことはとても語り尽くすことは出来ますまい」と言って、忉利天に帰るため空に昇っていきました。

恵明はこのことをつぶさに書き記して、石を彫って納めました。今もなお、それはそこにあるのだと、語り伝えられています。

【原文】

巻7第24話 恵明七巻分八座講法花経語 第廿四
今昔物語集 巻7第24話 恵明七巻分八座講法花経語 第廿四 今昔、震旦に恵明と云ふ僧有けり。何れの所の人と知らず。亦、俗姓を知らず。此の人、智恵明了なる事、人に勝れたり。頻に仏乗を悟て、常に法花経を講ず。

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

【解説】 昔日香・草野真一

大陸のサルについて

ここでは猿としたが、原文では「獼猴」となっている。
現代中国語でもサルは「獼猴」と記すものと「猿猴」と記すもの、厳然とわかれている。

日本に生息するサルはかぎられているから、「猿」一語で足りるが、大陸には多くのサルがいるため、異なる名称で語られるのだろう。一般に獼猴とはマカク属に属するものをいうらしい。

チベットマカク Macaca thibetana

大なるものが獼猴、小なるものが猿猴……と理解しているが、誤っている場合はご指摘ください。ここではすべて「獼猴」だから、大きいやつ、と考えている。

チベットマカク(オス)

法華経の巻数について

この話は法華八講のはじまりを述べたものになっている。全七巻の法華経をなぜ八回とするのか、というのがそのテーマであるが、のちに法華経は増補され、全八巻となった。日本で流通したのは全八巻のものである。
法華八講は現在でも多くの寺院でおこなわれており、一日で朝夕二巻を講ずるならわし(四日間の法会)になっている。

等覚院法華八講

偈について

法華経にかぎらず、経典には多くの偈(韻文)がふくまれている。ある説(物語の場合も多い。長行という)を述べたあと、同じ話を詩のかたちで再び語るのだ。

偈という語はサンスクリット(古代インド語)gāthāを「偈陀(げだ)」または「伽陀(かだ)」と音訳したことから生まれた。元来インドでは詩が好まれ、現代でもインドの人は詩を口にする。その慣習が偈となったと思われる。
法華経の成立は西暦40年~220年ごろといわれているが、口頭での伝達も多かったはずで、偈はその意味でも適当だったのだろう。

西暦40年~220年は釈尊の時代から数世紀が経過しているが、日本ではまだ文字が生まれていない。文字による記録はまったくない。

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