巻七第二十八話 観音に二度救われた人の話

巻七

巻7第28話 震旦中書令岑文本誦法花免難語 第廿八

今は昔、震旦の役人で中書の令であった、岑の文本(しんのぶんぽん)という人がいました。幼い頃より仏法を信仰し、いつも法華経の普門品を読誦していました。

この人が多くの従者を引き連れて船に乗り、呉江の中流を渡っていますと、突然船が壊れ、船に乗っていた多くの人が水中に投げ出されて死んでしまいました。ただ文本一人だけが水中を浮き漂っていました。

自分もすぐに死んでしまうのだと悲しんでいますと、どこからかかすかに声がして、その人が「ただすみやかに仏を念じれば、死ぬということはありません」と言いました。このようなことが三度もあったでしょうか。文本は浪に運ばれて水面に出、そのまま北岸に流れ着くことができました。喜んで岸の上に昇り、この難を免れたのです。

この時「仏を念じなさい」と言ってくれた人を探し尋ねましたが、誰も教えてくれる人はいませんでした。そこで、「これもひとえに法華経の威力、観音様のお助けによるものだ」と分かりました。

その後、文本はますます信仰を篤くし、江陵で斎会を催しました。多くの僧がその会に集まりました中に、一人の旅の僧がいました。斎会が終わり、参加していた僧たちが去った後もその旅僧は一人残って留まり、文本に「天下は今にも乱世になろうとしています。しかしあなたは仏法をこのように敬っておられるので、乱世の災いにより苦しむことなく、天下がいずれ平定された折には、高貴な身となり、富み栄えることでしょう」と言いますと、そのまま走り出ていなくなりました。

その後、文本は食べ物の中から舎利二粒を見つけました。「こんな不思議なことがあるものだろうか」と思って、それをこの上なく恭しく供養し奉りました。

また、当にあの旅僧が告げた通り、天下に戦乱が起こりましたが、文本はその災難から免れ、天下太平が成ったときには、身分も富も手にしていたのです。

これもひとえに法華経の威力、観音様がお助けくださったことに違いありません。最初は河を渡るときに船が壊れて水中に落ちたにも関わらず死なずに済みました。次には、天下に戦乱が起こってもその災から逃れ、太平の世が来たときには身分と富を得ることができました。

人はひたすらに仏法を信心するべきだ、と語り伝えられています。

万寿呉江図巻(東京国立博物館)

【原文】

巻7第28話 震旦中書令岑文本誦法花免難語 第廿八
今昔物語集 巻7第28話 震旦中書令岑文本誦法花免難語 第廿八 今昔、震旦に中書の令として、岑の文本と言ふ人有けり。幼少の時より、仏法を信じて、常に法花経の普門品を読誦す。

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

【解説】 昔日香

※中書…古代中国の中央官僚機構を構成する省の一つで皇帝の詔勅を起草する機関。ここで起草された政策は門下省で審議され、通れば尚書省にて実施される

※令…中書の最高長官

※普門品…法華経の第二十五品で観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)。観音経とも言われる。観音菩薩の力と慈悲心を信じ、その名を唱えれば救われると書かれている。また観音菩薩が衆生を救済する際には相手に応じて姿を三十三通りに変える(三十三応現身)ことも書かれている

※観音…観音菩薩は、仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、観自在菩薩(かんじざいぼさつ)、救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的に「観音さま」と呼ばれる。如来になるため大慈大悲を本誓として修行中の身とされ、阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と共に安置されることも多い

※斎会…僧尼を招いて斎食(さいじき)を施す法会

※舎利…サンスクリット語śarīraからの音写で、骨組・構成要素・身体を意味し、複数形になると遺骨という意味も表す。仏教では特に、釈尊入滅後の遺骨である仏舎利のことを指す

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