巻7第30話 震旦右監門校尉李山龍誦法花経得活語 第三十
今は昔、震旦の唐の時代、右監門の校尉という職位についていた李の山龍という人がいました。もとは馮州の人でした。武徳年間(618~626年)に急に亡くなりましたので、家の人たちは非常に泣き悲しみましたが、山龍の胸と掌だけは温もりを保っていました。家の人たちはこれを怪しんで、しばらく葬らずにいました。
7日たつとついに山龍は生き返り、親族に語りました。
「私は死んだ時、冥官に捕らえられ、一つの役所に参りました。役所はとてつもなく大きくて、その庭も広大でした。庭の中に縛り据えられている人が数多おりました。手枷足枷をされている人もいれば、首に枷をはめられ、鎖で繋がれている人もいました。みな顔を北に向けて、庭中にぎっしりと詰め込まれていました。
すると使いの者が私を庁舎へと引っ立てようとしましたので見ると、ここの首長と見られる大官が一段高い床に座し、周りには従者が数多おりました。その様子は、王を百官が取り囲んでいるかのようです。使いの人に、『あの方はどのようなお役人なのですか』と問いますと、『王である』とのことでした。
私が階(きざはし)の下に歩を進めると、王はこう問われました。『おぬしは一生の間にどのような善根を成したのか』私は『里の人が講会を修した際に、いつも私は施主と同じだけの供物を布施しました』と答えますと、王は更に『お主の身にはどんな善根を造り成したか』と問われました。私が『法華経二巻を読誦しました』と答えますと、王は『それはとても貴いことである。すぐに階を登るが良い』と仰いました。
私が階を上がって庁舎の上階に昇りますと、東北側に一段高い座がありました。王はその座を指し示して、私に登るよう促し、『その座に登り、経を読誦せよ』と命ぜられました。私は王の命を承り、その座の側に参りました。すると王はすぐに立上り、『経を読誦する法師よ、座に登られよ』と告げられました。私はすぐに座に登って王の方を向いて座し、『妙法蓮華経序品第一』と読み上げますと、王が『読誦の法師よ、すぐに止めよ』と仰せになりましたので、王の言葉に従って、私はすぐに座から降りました。またもとのように階の下に降りて庭を見ますと、縛り据えられていたはずの多くの罪人が僅かの間に消え失せて見えなくなっていました。
すると王が言いました。
『あなたが経を読誦される功徳はただあなただけにご利益をもたらすのではありません。庭にいた多くの苦の衆生は、皆あなたの経をお聴きしたことにより、囚われから免れることができたのです。これほど限りない善根がありましょうか。今や私はあなたを解放しましょう。すぐ人間界に戻りなさい』(王の口調が変わっている)
私はその言葉を聞いて喜んで王を礼拝し、庁舎を出て、帰ろうと数十歩ほど歩くかと思うと、王はまた私をお呼びになり、使いの者を通じてこのように述べられました。『この者を連れて、様々の地獄を見せてやりなさい』
使いの者はこの言に従ってすぐに私を連れて行きました。百歩余り行くと鉄の城がありました。とてつもなく広大です。その上に屋根が被さり、城郭を覆っています。壁面にはいくつもの小さな窓があって、その大きさは小盆ほどのものから大皿のようなものまで様々でした。見ていると、諸々の男女が飛んできて窓から中に入るのですが、出てくる者はありません。訝しく思って使いの人に『ここはどういうところなのですか』と問いますと、『ここは、大地獄ですよ。中にはたくさんの仕切があって、様々な方法で罪に対する罰を与えるのです。人々は前世に犯した業に従って地獄に堕ち、その罪に報いるべく罰を受けるのです』と使いの人は答えました。私はそれを聞くと嘆かわしく恐ろしく思って、『南無仏』と口走りました。
使いの人に『もう出ましょう』と申しましたが、また別の城門に連れて行かれました。見ると、一つの大きな釜に湯が沸き立っています。その側で二人の人がぐったりして眠っていました。私がこの人たちにどうしたのかと訊きますと、この二人は答えて言いました。『我らはこの釜の沸き立つ湯の中に入れられていました。その苦痛はとても耐えられないほどでした。ところがあなたが南無仏と称えてくださったのをお聴きしたので、地獄の罪人たちは皆一日の休息を得て、このように疲れきって眠っているのです』私はこれを聞いてまた思わず『南無仏』と称えました。
使いの人が仰るには、『冥府には数多くの官庁があるのです。先ほど王はあなたを解放されましたが、あなたがこの地を去りたければ、王に免書をもらうと良いでしょう。その書がないと、あなたが王に放免されたことを知らずに他の官庁の者がまたあなたを捕えようとするでしょうから』とのことでしたので、私は元の庁舎に戻り、王に書の申請をしました。王は紙に一行さらさらと書き付けて使いの人に渡し、『五道等でも署名を貰え』と仰せになりました。
使いの人はこの仰せに従って私を伴って二つの役所を相次いで訪れました。それぞれに官舎があり、従者の様子も似たような感じでした。どの役所の長官も、署名を求めると一行を書き加えて渡して返すのでした。
私がこれを手にして地獄を出て人間界への門にやって来ますと、三人の人がいて、『王があなたを放して去らせるのですから、我らにはあなたを留めることはできません。しかし、多少なりとも我らが欲しいものを送ってください』と私に言います。それを聞くやいなや使いの人が私に言いました。『王はあなたを自由の身にされました。ところでこの三人に見覚えはありませんか。この三人は、あなたが最初にこちらへ来られたときにあなたを捕らえた冥官なのです。一人は棒主といって、棒であなたの頭を打つ役。また一人は縄主といい、赤い縄であなたを縛る役。更に一人は袋主といって、袋であなたの気を吸い取る役です。あなたが人間界に帰ることになったので、物をねだっているのですよ』
私は思わず恐れかしこまって、彼らに『私は無知にしてあなた方のことを存じませんでした。家に帰りつきましたらすぐにもお送りするものを準備いたしましょう。しかし、どのようにしてお送りすれば良いでしょうか。その方法が分かりません』と言いますと、三人は口々に『水の辺りか樹の下でそれを焼いてください』と言って、私を見逃して帰してくれました」
山龍がようやく我が家に帰って来られたと思ったとき、人間界に戻れたのですが、見ると家族は嘆き合いながら彼を葬る準備をしていました。山龍が自らの屍の傍に立つと、忽ち息を吹き返しました。
後日、山龍は紙を切って銭帛(祭祀用の紙幣)を作り、酒や肉と並べて自ら水の辺りでこれらを焼きました。忽ちあの三人が現れ、「あなたは言を違えず、我々冥官へ供物を贈ってくださった」と言うやいなや姿を消しました。
その後、山龍がこのことを知恵も徳行もある高僧に語ったのを聴き取って、僧が語り伝えたと言われています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※右監門…中国古代の官職で、主に城門の警備や管理を担当する役職
※校尉…高級武官の名称
※五道等…仏教の世界観において、死後、人々は因果応報に基づいて、六つの世界を巡って輪廻転生すると考えられている。
六道とは
地獄道:苦しみや罰を受ける世界
餓鬼道:飢えや渇きに苦しむ世界
畜生道:動物として生まれ変わる世界
阿修羅道:争いを好む神々が住む世界
人間道:人間として生きる世界
天道:天上の世界で楽を享受する世界
この内、阿修羅道を抜いたものが五道であるとされる


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