(第三十三話~第四十話 欠話)
巻7第41話 震旦仁寿寺僧道愻講涅槃経語 第卌一
今は昔、震旦の蒲州(ほしゅう)という所に仁寿寺という寺がありました。その寺に道愻(どうそん)という僧が住んでいました。若い頃から深い知識を持ち、心が広く、人をたいそう思いやりました。国も郷もこぞって、道愻をこれ以上ないほど尊崇し、貴んでいました。道愻はその生涯で涅槃経を講ずることが八千回余りにも及びました。
その頃、崔の義真という人が虞郷(ごきょう)の令(長官)としてこの郷におりました。郷の人を通じて道愻に依頼して、経を講じてもらいました。
道愻は高い座に登って講の題目を発しましたが、同時に深く泣き悲しみ続けながら聴衆に言いました。「御仏は人の世をお離れになって、遥か遠くに行ってしまわれました。ですから、その妙なる御言葉はこの世から絶えてしまいました。私のような愚者にはその善根をとても十分には伝えられません。ただ、心の奥底から敬い向き合うのみです。どうぞみずから悟りを開いてください。獅子吼菩薩品(『涅槃経』第十一)で、講を止めなければなりません。その日はもう間近に迫っています。どうか、皆さん一人一人の心に仏がありますように」
このように説きましたが、聞いていた人たちは、何のことを説かれたのかわかりませんでした。
獅子吼菩薩品まで講じると、道愻は病にかかった訳でもないのに亡くなってしまいました。講会に臨んでいた、僧も世俗の人たちも男も女も、みなこの上なく泣き悲しみました。
義真は、一族従者らと集って終南山というところに道愻の亡骸を秘かに埋葬し、その場を去りました。
その後、11月になって地面は凍てついているというのに、地中にあるはずの道愻の亡骸が地上に現れました。その場所には蓮華に似た小さな花が生えました。道愻の頭と手足にそれぞれ一輪の花がありました。義真はこれを不思議に思って、家臣にこの花を護らせていましたが、この人が夜眠っている間に誰かがやって来て、頭のところの花を手折って盗み取っていってしまいました。
翌朝、道愻の亡骸を見ると、また花が、今度は体を取り囲むように生えていました。数えると五十余りもありました。花は七日間咲いた後、萎れて枯れました。
義真、ならびに郷の僧も世俗の人たちも、「このように不思議なことがあるものなのか」とこの上なく貴んだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※涅槃経…正しくは「大般(だいはつ)涅槃経」
[ 一 ] 原始仏教の経典。釈迦の晩年から入滅前後までを伝記的に述べながら、仏教の基本的な立場を明らかにする。
[ 二 ] 大乗仏教の経典。真理そのものとしての仏は永遠であり、生きとし生けるもののすべてに仏の本性がそなわっていると説く。本話における『涅槃経』はこの経である
※獅子吼菩薩品…涅槃経の章の一つで、獅子吼菩薩が仏性について釈迦牟尼如来に問う場面を描く
釈迦牟尼如来は、獅子吼菩薩の問いに、一切衆生に仏性があることを明かす
※終南山…秦山、南山、太一山、太乙山等の別名をもつ。三千メートル級の高峰も聳える山岳地帯を総称した名称で、特定の山の名ではない。古来名山として文人墨客に愛され、また、静寂の地を求めて仏僧・道士が好んで隠棲した



コメント