巻7第42話 震旦李思一依涅槃経力活語 第卌二
今は昔、震旦に李の思一という人がいました。趙郡の人で、太廟の丞(補佐官)として仕えていました。
貞観二十年(696年)の正月八日、この人は突然言葉を話せなくなり、同月十三日になると亡くなりました。ところが数日後に生き返りました。
思一は家人に話しました。
「私は死ぬと冥官に捕らえられて、南の方角へ行き、一つの門をくぐりました。見ると門の中には南北に一本の大通りがありました。左右は狭いのです。その道を行くと、役所の官舎がありました。そこからさらに十里(約40㎞)ほど行ったでしょうか。東西に伸びる大通りに出ました。幅は五十歩ほどでした。たくさんの吏卒(下級役人)がそれぞれに男女を無理やり引き連れて通りを埋め尽くすように東へと向かっていました。
私が吏卒に『この男性たちや女性たちはどういう人たちなのですか』と尋ねますと、『最近死んだ輩である。役所に連れて行って前世の過ちを裁くのだ』と答えました。
私は真っ直ぐ南へ向かう大きな通りを渡って一つの官庁に着きました。役人が、『お前は昔、十九の時に人の命を殺めたな』と問いました。私は全く覚えがないと答えました。するとすぐに、殺されたという人を召し出して、殺された年月日を問いただしました。
その時私は思い出して申し上げました。『その、殺したという日に私は黄州の恵珉法師のところで涅槃経の講を聞き奉っておりました。どうしたら、そんなところで人の命を殺めるなどということができましょうか』役人は私の言葉を聞いて、恵珉法師の所在を尋ねました。ある人がそれに答えて、『恵珉法師は亡くなって随分になります。既に金粟世界(解説参照)に転生されました』と言いました。
役人は『お前の言うことを確かめるために、その恵珉法師が生きているところへ人を遣わそうと思うが、あの世界は遠方にあり、すぐに行き着くことは難しい。そこで、お前を一度放免する。しばらく家に帰っていよ』と言いました」
思一が冥土から戻ると、家の近くの請禅寺という寺の僧で、生前から親しく行き来していた玄通が家に来ていました。家人が招いて、思一の没後を供養するために経を読んでほしいと頼んだのです。
ところが、ふと見ると、思一が生き返り、冥土のことを語りました。そこで玄通は思一に懺悔の法を教え、授戒させました。また、家人に勧めて、金剛般若経を五千回転読させました。その後、日暮れごろ、思一はまた死にました。
明くる日、思一は再び生き返り、語りました。
「私はまた追い捕らえられて前の役所へ連れて行かれました。役人は遠くから私を見つけて大いに喜び、『お前は家に帰ってどんな功徳を修めたのか』と問われました。私が戒を受け、読経したことを答えますと、役人は『それは大いなる善根である』と言いました。
その時、一人の人が一巻の経を取って私に示し、『これはその金剛般若経である』と言いました。私がその経を乞い願って受け取り、巻を開いて題目を見てみますと、文字は人間界で見たものと全く同じでした。そこで目を閉じ、心中で発願しました。『願わくは、この経の真の意味を理解して、衆生のために説き表したい』するとその人は『今あなたが発心したことはまことに偉大なことです。あなたに殺されたという人もご利益を得ました』と言いました。
役人はこのように言いました。『お前の命はもう尽きているのだ。これで私はお前に代わって人界に転生できると思ったが、お前の家人が善根を成すがためにお前は人界から離れない。そこで仕方なく、お前に罪を着せてここに長く留まらせようと思った。決して無理矢理にお前を罪に陥れようと言うのではない。頼むから罪を負ってはくれないか』
まさにその時、二人の僧が現れました。僧は『我らは恵珉法師の使いとして参った』と言いました。役人はこれを聞いて驚き慌て、立って二人を出迎えました。僧は役人に言いました。『思一は確かに昔、恵珉法師が涅槃経の講を法ずるのを聞いた。また、誰も殺してなどいない。なぜ行ってもいない罪をみだりに記録しようとするのだ』すると、冥官は仕方なく私を放免しました。
そこで私は二人の僧とともに役所を出ました。僧たちは私を家に送り届けてくれ、『おぬしはこれからも浄い心を持って善根を修めるように勤めなさい』と言って姿を消しました。そして私はついに生き返ることができたのです」
見れば確かに思一はそこに生きていました。
以前にこのことを聞いた大理卿の李の道祐という人が、使者を立てて玄通からこの話を聞き取り、書き記したと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香・草野真一
※太廟…帝王や偉大な人物の霊を祀る場所、つまり「霊廟」や「廟」の総称。特に有名なのは岱廟、孔廟など
※金粟世界…「維摩経」の主人公、維摩の前世は金粟如来だったとされている。金粟世界とは金粟如来の仏国土のこと。われわれが住む世界(人間界)とはまったく異なる世界だ。
維摩経は物語性ゆたかな経典であり、維摩は商業都市ヴァイシャーリーの商人(在家)であるが、釈尊の十大弟子(出家)も菩薩もきりきりまいさせている。在家でもすごい人がいるんだぜ、が維摩経の骨子だ。金粟世界の人がなんで現世にいるんだよとツッコミを入れたくなるが、並行世界もパラドックスも「アリ」なのが大乗経典の魅力のひとつ。ちなみに、『方丈記』の方丈とは、維摩の居室から来ている。
※大理卿…追捕・糾弾・裁判・訴訟などをつかさどる官の長
※思一の蘇生…『今昔物語集(七)』(講談社)における国東文麿氏の解説によれば、思一は殺人を犯していたが、そのとき涅槃経を聴聞していたというアリバイが成立したため、一度は放免されたとしている。涅槃経を聞いた功徳に重きが置かれていないこと、思一が「一度」放免されたにすぎないことがその理由だ。要するに仮釈放で、疑わしきは罰せずの現代法の基本(容疑者は裁判が終わるまで犯人でない)があの世でも適用されているのは興味ぶかい。原題は涅槃経の力で蘇生したように記されているが、思一が生き返ったのは涅槃経を聞いた功徳ではない。



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