巻7第46話 真寂寺僧恵如得閻魔王請語 第卌六
今は昔、震旦の長安の都に真寂寺という寺がありました。この寺に恵如禅師という僧が住んでいました。この人は若い頃から精魂込めて仏法を信仰し、いささかも怠ることなく仏道を修行していました。
ある時、この禅師が弟子たちに「どんなことがあっても私を目覚めさせるのではない」と告げて、じっと動かなくなりました。弟子たちは「今にもお目覚めになるだろう」と思いながら様子をうかがっておりましたが、七日目になっても動く気配がありません。弟子たちは皆で嘆き合っていましたが、そこに知恵のある人がいて、「禅師は心を統一させて禅定に入られているに違いありません」と言いました。
ところが、その七日が過ぎようとする頃、恵如禅師は目を見開き、叫び声をあげました。弟子たちも、この寺の僧たちも一体どうしたことかと思って尋ねました。すると禅師は「おぬしたち、私の脚を見てみてくれ」と言って脚を出しました。すると、大きな火傷ができ、赤く爛れています。禅師はこの上ない痛みを感じている様子です。この様子を見て、皆は思わず「一体どういうことでしょう。禅師の脚は元々何のお怪我もありませんでしたのに、このように突然焼けただれるなんてことがあるのでしょうか」と問いました。
禅師はこれに答えて言いました。
「私は閻魔王に請われて王のもとに詣でた。王がお命じになったので、勤行を七日に渡って行ったところ、王が『そなたは亡き父母の様子を見たいと思うか、どうだ』と仰ったので、私は『願いが叶うならば見たいと思います』と答えた。王が人を遣わして召し出したところ、一匹の亀がやって来た。私の足の裏を舐めて涙をこぼし、去っていった。王が『なぜもう一人も連れてこないのか』と言うと、使いの人は『もう一人は罪が重すぎるため、こちらに召し出すことができないのです』と答えた。
王は私に『本当に見たいと思うのか』とお尋ねになり、私が『本当に見たいのです』と答えたところ、『ならば使者とともに行って見てくると良い』とお告げになった。
そこで、使者は私を引き連れて地獄に向かった。地獄の門は固く閉ざされ、開く隙もない。使者が門の外から大声で呼ばわると、中からも大きな声で応える者がある。その時使者は『あなたはこの道を遠くまで退いて、門に相対して立たないようにしてください』と言った。
そこで私が使者の教えてくれたとおりに退こうとしていると、獄門が開いた。大火が門より流れ出てくる。その火は鍛冶が槌で叩いた時に散る火花のようで、流星のようにほとばしり、その一つが私の脚についたので、あたふたして払いのけながら目をあげて獄門の方を見た。鉄の湯の中に百人ほどの人の頭があるかと見えただけで、門は閉じてしまった。あそこまで行ったのに、相まみえることは叶わなかったのだ」
恵如禅師がこのように語るのを聞いた人々は皆、なんと不思議なことだろうかと感じ入り、この上なく貴び合いました。
また、恵如禅師は言いました。
「王は私に対価として絹三十疋を与えようと仰ったが、私は固辞して受け取らなかった」
ところが、戻ってきて房に入ると、床の上に絹が置いてあったとのことです。禅師の脚の火傷は大きさが銭ほどありましたが、百日余り経つと癒えました。
真寂寺は、のちに化度寺と呼ばれました。この話は、その寺の記文に記されていたものを見て、書き写して伝えたと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※禅師…中国や日本で高徳の僧を表す言葉。禅師とは言うが、禅宗の僧に限っているわけではない
※禅定…禅定あるいは禅那とは、仏教で心が動揺することがなくなった一定の状態を指す。サンスクリット語の dhyāna の音写である禅と、訳した定の複合語で、静慮とも訳される
※疋…織物の単位。布地二反(たん)が一疋
※記文…寺の創建や携わった人、伽藍の配置、歴史などを記した史料


コメント
閻魔大王も有徳の僧に7日間も勤行させて、絹三十疋なんてご褒美より両親を救ってあげたらいいのにねぇ。でも因果応報の法は枉げられないということなんでしょうか。もっと近世の信仰なら両親が救われてめでたしなんでしょうが、峻厳なところがいかにも古代らしさを感じますね。
コメントありがとうございます。これ、あの世で両親に会う話ですが、じつは会えたのは片親だけ。しかも、会えたのが父なのか母なのかわからないのです。興味深い話だと思っています。