巻七第四十七話 生き返って肉を食い戒を犯した男の話

巻七(全)

巻7第47話 震旦鄭師弁活持戒語 第卌七

今は昔、震旦の唐の時代に右監門兵曹参軍である、鄭の師弁という人がいました。まだ年若い頃に突然病にかかり、死んでしまいました。父母は泣き悲しみましたがどうすることもできず、あきらめざるを得ませんでした。

ところが、それから三日たつ夜中頃、師弁は生き返りました。父母はこれを見て限りなく喜びました。師弁はこのように語りました。

「私が死んだ時、多くの人がやって来て私を捕まえ、私を連れて冥府の大門に入りました。見ると、私のように捕らえられた人が百人余りいて、皆足取り重く、北を向いて、およそ六列になっていました。その前を、豊満で色の白い、上等な服を着た、気高く貴い様子の人が歩いています。後には痩せ細りみすぼらしい人たちが、首に枷をされたり、帯も締めない姿で皆歩いて、袖を連ねていました。周囲を恐ろしそうな兵士たちが取り囲んでいます。

私は三列目に行かされ、東側の三番目に立ちました。私もまた帯を締めておらず、同じように袖を連ねていました。怖ろしくて堪らず、どうすれば良いのかわからなかったので、ただひたすらに心の中で御仏を念じ奉っておりました。

その時、生前見知っていた僧を見つけました。この僧は兵士たちの間にも平気で分け入って行きますし、兵士たちも僧を咎めようとはしないのです。そうして私のところにやってくると、『そなたは生前何も功徳を積まなかった。今になってそのことをどう思っているのか』と仰いました。私が、『どうか私を憐れと思って助けてください』と言いますと、僧は『今回はそなたを助けよう。生き返ることができたなら、誠心誠意、戒を守りなさい』と告げられましたので、私は『生き返ることが叶いますれば、必ず心を尽くして戒を守ります』とお答えしました。

そうしている間にも、役人がやって来て捕らわれ人たちを役所の中に引いていき、順番に一人ずつ尋問していきます。見ると、先ほどの僧がこの役人に向かって私の善業について話してくださっていました。役人はこれを聞いて、私を放免してくれたのです。

僧は私を引き連れて役所を出ました。門の外に出ると、私に五戒を説き聞かせて瓶の水を私の額に灌ぎました(灌頂)。そして、『そなたは日が西に傾く頃生き返るだろう』と仰り、また、私に黄色い衣をお与えになって、『これを着て還りなさい。そしてこの衣を清浄な場所に置きなさい』と仰って、帰る道を教えてくださいました。

そこで私は教わったとおりにこの衣を着て、家に帰り着きました。そしてまずは衣を畳み、床の角の上に置いたのです」

ちょうどそのときに師弁は目を開き、体を動かしました。父母や家人たちはこれを見て驚いて騒ぎ、恐ろしく思って、「死んだはずの屍が起き上がろうとしている」と言い合いました。

しかし、師弁の母は側を離れず、「あなたは生き返ったの」と聞きました。師弁は「日が西に傾いたら生き返ることができるのです」と答えました。師弁は今は正午頃ではないかと思っていたのでそう母に問いますと、母は「今は真夜中ですよ」と答えました。それで、死後の世界と人界では昼夜が逆であるとわかったのです。

その後、師弁は少しずつ心が落ち着いて、日が西に傾くと飲食をし、やっと元のようになりました。師弁が着て戻った衣は床の角にありましたが、師弁が起きるときにはもう失くなっていました。ただ光だけが留まっていて、七日経つとその光も消え失せました。その後、師弁は心を込めて五戒を守り、破ることはありませんでした。

ところが、数年後に、友人が「猪の肉を食べないか」と勧めますと、師弁は誘惑に負けて一切れの肉を食べてしまいました。

その晩、師弁は夢の中で自分が鬼になったのを見ました。爪と歯が長く伸びて、生きた猪を捕まえてそのまま食べていたのです。明け方に夢から覚めましたが、その後口からなまぐさい唾と血を吐きました。すぐに従者を呼んで見てもらうと、口の中いっぱいに血の塊が湧いて、この上なく血なまぐさかったのです。師弁は仰天し、怖くなって、また肉食を断ちました。

ところが、今度は長年連れ添った妻が強引に肉を勧めるので、師弁はまたも肉を食べてしまいました。今回はすぐには報いはなかったのですが、その五、六年後、師弁の鼻に大きな瘡(かさ)ができてしまいました。日が経つにつれて瘡は化膿して治る気配もなく、死ぬ思いをしました。「これは戒を破った罰にちがいない」と思って昼夜明け暮れ問わず恐れ迷いましたが、ついに瘡は治りませんでした。

このことから考えますと、後の世にも救いはありますまい。不信心ゆえに食欲に溺れ、前回冥土で救っていただいたことをも忘れ、後の世で待っている苦しみも思ってみないということは、なんて愚かなことであろうかと、語り伝えられています。

【原文】

巻7第47話 震旦鄭師弁活持戒語 第卌七
今昔物語集 巻7第47話 震旦鄭師弁活持戒語 第卌七 今昔、震旦の□□代に、東宮の右監門兵曹参軍にて、鄭の師弁と云ふ人有けり。未だ弱冠也ける時、俄に病を受て死けり。父母有て、泣き悲むと云へども、更に力及ばずして止ぬ。

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

【解説】 昔日香・草野真一

※五戒…仏教徒として生きていく上で基本となる実践項目

1. 不殺生戒(ふせっしょうかい):生き物の命を故意に奪わない
2. 不偸盗戒(ふちゅうとうかい):与えられていないものを盗らない
3. 不邪淫戒(ふじゃいんかい):よこしまな(道ならぬ)性行為をしない
4. 不妄語戒(ふもうごかい):嘘をつかない
5. 不飲酒戒(ふおんじゅかい):(基本的に)酒類を飲まない

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