巻7第6話 震旦霊運渡天竺踏般若所在語 第六
今は昔、震旦(中国)に霊運という僧がいました。襄州(現在の湖北州襄陽市)の生まれです。
聖跡の巡拝をしようと、南海の浜を越えて天竺(インド)に渡りました。天竺では、般若提婆(はんにゃだいば)と名乗っていました。
那爛陀寺(ナーランダ僧院)では、弥勒菩薩の尊い御姿と、菩提樹(聖なる樹)を絵に描きました。
次に伊爛拏鉢代多国(いらんなはつばた国)までまいりますと、一つの山がありました。この山は古くからすぐれた霊場として名高く、数多くの霊廟があって、そのご利益も様々なものがありました。
その寺で七日、あるいは二七(十四)日の間、心から深く願を祈請すれば、観音は像の中から御姿を現して、祈る者の心を慰め、願をかなえてくださるとのことです。また、その寺のそばには鉄塔があって、大般若経を二十万偈お収めしてあるということです。天竺の人々は皆、この寺の仏像と経を競い争うように参拝し、このうえなく供養し奉っていました。
霊運もまた、この寺に詣でて七日間、何も食べずに精魂込めて心願を祈請しました。その願は三つありました。一つには、悪道(地獄、餓鬼道、畜生道)に決して落ちないこと、二つには、必ず故国に戻って念願通り仏教を広めること、三つには、懸命に仏法を修行して一日も早く仏果を得ることでした。
すると、仏像の中から、光とともに観世音菩薩が御姿を現して、霊運に告げました。
「そなたの三つの願はことごとく成就した。速やかに鉄塔に入って、大般若経を読誦し、経のあった地を踏むならば、必ず三悪道から逃れることができるだろう。また、心を尽くしてこの地を踏んだ者はその一足一足ごとに自らの罪が浄められ、ついに悟りを得ることができる。私は昔、この大般若経を修行して、不退の地とも言われる極楽浄土に往生することができた。この大般若経を身から離さず深く信仰し書写する者は、かならず願をかなえられるだろう」
このように霊運に告げますと、観音様は姿を消してしまわれました。
そこで霊運は鉄塔に入り、三七(二十一)日の間ここにこもって大般若経を読誦し、つつしみ敬って礼拝した後に鉄塔から出ました。
その後何年かして、震旦に帰国した霊運は、念願通り仏教を広め、経典の翻訳に力を尽くすことになりました。
「これもひとえに、観音様のお助け、大般若経の御力によるものだ」
戻ってきた霊運が言っておりましたのを聞いて、そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
観自在菩薩は、観世音菩薩、すなわち観音様のことであり、観音様は弥勒三尊の脇侍とされる。中国仏教では観音信仰が盛んであった。



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