巻9第10話 震旦顔烏自築墓語 第十
今は昔、震旦(中国)の東陽(浙江省)というところに、顔烏という者がありました。小さなころから孝養の心が深い人でした。
やがて父が亡くなりました。顔烏は父を葬ろうと、墓を築こうとしました。誰の手も借りず、みずから土を背負い、これをとりおこなおうとしました。そのため、墓はなかなか完成しませんでした。
天地の神が力を貸しました。千万の烏(カラス)が集まってきて、各塊(つちくれ)をくわえ、顔烏が墓を築いている場所に運びました。このことによって、墓は思っていたよりずっと早く完成しました。
顔烏が烏たちを見ると、それぞれが口から血を流していました。見聞く人はこれを奇異に思い、孝養の心の深さを貴びました。
以来、この県を「烏傷県」と呼ぶようになりました。その後、王莽のころに改められ、烏孝県と呼ばれています。孝行の深さを烏が示したため、烏孝県というのだろうと語り伝えられています。
【原文】
巻9第10話 震旦顔烏自築墓語 第十
今昔物語集 巻9第10話 震旦顔烏自築墓語 第十 今昔、震旦の東陽と云ふ所に、顔烏と云ふ人有けり。幼稚の時より孝養の心深し、 而る間、其の父死せり。顔烏、此れを葬(はふり)して、墓を築(つか)むと為るに、自ら一人して、土を負ひ運て、更に他の人の力を加えしめず。然れば、其の事成り難し。
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 西村由紀子
烏孝県は現在、義烏市と呼ばれている。
巻十九第八話 キジになって鷹と犬に追われた男の話
巻19第8話 西京鷹仕者見夢出家語 第八 今は昔、西京に鷹狩りを仕事にしている者がありました。息子が何人もいて、その子たちにも鷹狩りを仕事にするように伝え教えていました。 常に心にかけ、夜となく昼となく好んだことでしたから、寝ても覚めて...
コメント