巻9第11話 震旦韓伯瑜負母杖泣悲語 第十一
今は昔、震旦の宋の時代に、韓伯瑜という人がありました。幼いころ父をなくしました。
それからは母と暮らしました。伯瑜に過ちがあったときには、母が怒り、杖で伯瑜を打ちました。伯瑜はひどく体が痛みましたが、忍んで泣きませんでした。それが常の事でした。
やがて、母は年老い、衰えました。そのうえで母に打たれても、まったく痛みませんでした。伯瑜は杖にすがりついて涙を流しました。
母は不思議がり、伯瑜に問いました。
「私はこれまで、何度もおまえを杖で打ってきた。しかし、おまえが泣くことはなかった。だが今、なぜ杖を受けて泣くのだ」
「これまで、私はあなたの杖を受け、どんなに身が痛くとも、忍んで泣きませんでした。しかし今日のあなたの杖は、力弱く、これまでとまったくちがいました。これは母が年老いて力が衰え、弱くなったためだと知り、悲しくて泣かずにはいられなかったのです。
母はこれを聞いて思いました。
「これまで、子は杖を受けて、痛くて泣くことはなかった。しかし、私が年老いて、力が弱くなったのを知って、悲しんで泣くのだ」
母は伯瑜をかぎりなく哀れみ、悲しみました。
この話を聞く人は、伯瑜の心を讃め、感じ入りました。孝養の深い心は、我が身の痛きを耐えられたが、その力が弱くなったのは悲しまずにおれなかった。そう語り伝えられています。
【原文】
巻9第11話 震旦韓伯瑜負母杖泣悲語 第十一
今昔物語集 巻9第11話 震旦韓伯瑜負母杖泣悲語 第十一 今昔、震旦の宋の代に、韓の伯瑜と云ふ人有けり。幼稚なりける時、其の父死けり。 然れば、母と共に家に有て、懃(ねんごろ)に母を養ふ間、伯瑜、少しの過ある時には、母、嗔て、杖を以て、伯瑜を打て呵嘖す。伯瑜、杖を負ふに、身痛しと云へども、心に忍て、泣く事無し。此...
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
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