巻9第16話 索冑死沈裕夢告可得官期語 第十六
今は昔、震旦に、民部の尚書(戸籍や租税を司る省庁の長官)として、武昌公戴索冑(ぶしょうこうさいさくちゅう)という人がありました。また、舒州の別駕(副官)として、沈裕という人がありました。二人は互いに深く契り、年来を親友として過ごしました。貞観七年(633年)、索冑が死にました。
翌年の八月、沈裕は舒州にいく機会があり、夢を見ました。長安で義寧里(都市)の南の堺を歩いていると、索冑が古くみすぼらしい衣を着て、とても衰えたすがたで現れました。沈裕を見ると、大いに喜びながらもとても哀しい顔をしていました。
沈裕は問いました。
「君は生きている時、善根を修していたではないか。死んでから、今はどんな様子なんだ」
索冑は答えました。
「私は生きているころ、国王に奏し、誤って人を殺してしまった。また、私が死んだ後、ある人がとむらうために羊を捧げた。私はこの二つの咎(とが、罪)によって、言い尽くすことのできないほどの苦を得ている。しかし今、その罰も終えようとしている」
さらに沈裕に語りました。
「私は生きているとき、君と親しくしていた。しかし、君はまだ官位を得ていない。残念に思っている。しかし、君はやがて五品の文書を得て、皇帝に会うだろう。これは君にとっても私にとっても喜ばしいことだ。そのため、お知らせするのだ」
言い終わったところで、夢から覚めました。沈裕はその後、親しい人に会ってこれを語り、夢のことが実現することを願いました。
その年の冬、沈裕は都(長安)に上り、任官の選考を受けました。しかし、以前禁固刑を受けたことがあって、任官できませんでした。夢のお告げも効果はありませんでした。
貞観九年の春、沈裕は帰ろうと江南に向かいました。舒州に至ったところで、とつぜん詔書をうけたまわりました。沈裕は五品を授けられ、務州の治中(長官補佐)に任ぜられました。そのとき、沈裕は夢で索冑が告げたことが正しかったことを知りました。かぎりなく心を動かされました。
生きているとき親しく仲の良かった人は、死んだ後も忘れず思っていてくれるものだ、と語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一

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