巻9第17話 震旦隋代人得母成馬泣悲語 第十七
今は昔、震旦(中国)の隋の大業(605~618年)の時代、洛陽(隋の都)に一人の人がありました。
この人が馬をもらい、家で飼っていました。ある冬の日、馬に乗って墓参に行こうとしました。
河を渡ろうとすると、馬は嫌がって渡ろうとはしません。主は馬を鞭で打ちました。馬の頭と顔は傷だらけになり、血が流れました。ようやく墓に至り、馬を放ちました。墓参をする間に、馬はいなくなっていました。
この人にはともに住んでいる妹がありました。兄が墓参のために外出しているとき、妹はひとりで家にありました。ふと見ると、死んだはずの母が部屋に入ってきました。頭や顔から血を流していて、憔悴しきっている様子でした。母は泣きながら言いました。
「私は生きているとき、おまえの兄の米五升を盗み、おまえに与えました。このことによって罪報を得て、今は馬の身で、おまえの兄に報を償っています。もう五年になります。今日、河を渡ろうとしましたが、とても深かったので、私はおそれました。おまえの兄は鞭で私を打ち、頭や顔から血が流れました。それでも拒んで戻ろうとすると、さらに強く私を打ちました。私はあなたにこれを告げに来ました。償いはすでに終わっているのです。いわれない苦を受ける理があるでしょうか」
言い終えると、母は家を走り出ました。娘は驚き騒ぎながら探しましたが、見つかりませんでした。娘は母が負っていた傷の場所を書き留めておきました。
やがて、兄が帰ってきました。妹は兄が乗ってきた馬の頭や顔の、傷が破れて血が出ているところを見ました。それは、母の傷があった場所とまったく同じでした。
妹は馬のもとに走り寄り、かき抱いて泣き叫びました。兄はこの様子を見て不思議に思い、問いました。
妹は母が来たことを、泣きながら語りました。兄は言いました。
「馬ははじめ、河を渡ろうとしなかった。墓参する間にいなくなってしまった。しかし、帰り道で出会ったのだ。おまえの話を聞いて、その理由がわかった」
兄も馬を抱き、妹とともに泣き悲しみました。馬もまた涙を流しました。馬はそれから、草も食べず水も飲まなくなりました。
兄妹は馬に向かってひざまずき言いました。
「あなたが本当に母であるなら、どうか草を食べてください」
馬はようやく草を食しました。妹は、五戒を保っている人のところに行きました。粟・豆の食を馬に与えると、馬はすこし食べて、死にました。兄妹は実の母にするように、馬を葬りました。
このことを思うと、牛・馬・犬・鶏など、人が飼っている動物はみな、前世に償うところあって獣のすがたをとっているように感じられます。決してひどい仕打ちをするべきではないと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一


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