巻9第18話 震旦韋慶植殺女子成羊悲語 第十八
今は昔、震旦の貞観年間(627~649年)に魏王府の長吏として、韋の慶植という人がありました。京兆の人です。姿かたちの美しい娘がありました。娘は幼くして死にました、父母はかりぎなく惜しみ悲しみました。
二年ほどのち、慶植は遠方に行かねばならぬ用ができました。親類縁者を集めて、それを伝えました。彼らに食事をふるまうため、家の者に命じて、市で羊を買ってくるように伝えました。殺して供するためです。
前の晩、母は夢を見ました。死んだ娘が青い衣をまとい、白い布で頭をつつみ、髪に玉の釵(かんざし)を差していました。娘が生きていたころの衣服・かざりでした。娘は母に泣きながら言いました。
「生きていたとき、お父様お母様は私を愛し、すべて私に任せてくれました。私は親に告げず、ほしいままに財を取り使い、人に与えたりしました。『これは盗犯ではない』と考え、親に言わなかったのです。その罪によって、今、私は羊の身になっています。その報で、明日、ここで殺されようとしています。願わくは母よ、私を許してください」
そこで夢から覚ました。とても哀しい気持ちになりました。
翌朝、母が調理場に入ると、頭の白い、青色の羊がおりました。白い頭には二つ斑点がありました。人ならば釵を差すところです。母はこれを見て言いました。
「この羊はしばらく殺さずにいてください。主人が帰ったなら、わけを話して許してもらいます」
主が帰宅して、家にも入らぬうちに責め言いました。
「なぜ客人の飲食の用意が遅いのだ」
飲食を調える人が答えました。
「羊を殺して、客人の飲食に備えようと思ったのですが、奥様が『羊を殺すな。家主が帰ったら、申して許していただく』と言ったので、調理せずにいたのです」
家主はすみやかに食事を勧めるために、妻に告げず、羊を殺すため吊り下げました。
そのとき、客人たちがやってきました。見ると、すがた形の美麗な十余歳ほどの女子が、髪に縄をつけられ、吊り下げられています。女子は叫んでいました。
「私はこの家の娘でしたが、今は羊になっています。助けてください」
客人たちはこれを聞いて言いました。
「この羊を殺してはならない。理由を申し上げよう」
客は主人の所へ行きましたが、調理人にはただの羊に見えていました。
「主人は食の遅いことを怒られている」
羊は殺されました。羊は殺されるとき声をあげましたが、殺す人の耳には、ただ羊の鳴く声に聞こえていました。客人たちの耳には、幼女の泣き叫ぶ声に聞こえました。羊は蒸物にされ、焼物にされて供されました。
客人たちは料理に手をつけず帰りました。慶植は客人たちが帰ることを不思議がり、その理由を問いました。ことの次第を語った人がありました。
慶植はこれを聞き、泣き悲しんで、歎き迷いました。しばらくして病にかかり死にました。行かねばならぬところにも行けませんでした。
飲食は咎(とが)があります。料理はすこし時間をおいてから調え備えるべきです。急ぎ調理すべきでないと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一


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