巻9第20話 震旦周代臣伊尹子伯奇死成鳴報継母怨語 第二十
今は昔、震旦の周の代に、伊尹(いいん、尹吉甫)という大臣がありました。伯奇という男子が一人あり、端正で美しい姿をしておりました。伯奇の母が死んだ後、伊尹は後妻を迎え、伯奇の継母となりました。継母はやがて、一人の男子を生みました。
伯奇が幼かったころ、継母はかれをことさらに憎みました。あるとき、蛇をとって瓶に入れ、これを伯奇に持たせて、継母の子の小児のところに届けさせました。小児はこれを見て恐怖し泣き迷い、大声で叫びました。
継母は父の大臣に告げました。
「伯奇は常に我が子の小児を殺そうとしています。あなたはこのことをご存じないのですか。もし疑うなら、これを見て、真偽をたしかめてください」
瓶の中の蛇を見せました。父は見て言いました。
「我が子の伯奇は幼いが、他人に悪事を働いたことがない。何かのまちがいにちがいない」
継母は言いました。
「もし信じられないのならば伯奇の所業を見せましょう。私と伯奇は後の薗(庭園)で菜を採ります。あなたは木陰からこの様子を見ていてください」
継母はひそかに蜂をつかまえ、袖の内にしのばせて、伯奇と共に薗に入りました。しばらくは菜を採って仲良くしていましたが、とつぜん継母は地に倒れました。
「私の懐に蜂が入っていました。刺されました」
伯奇はこれを見ると、継母の懐を探り、蜂をはらい捨てました。
父はこれを見て思いました。「伯奇は謀の心がある」
遠かったので継母の声は聞こえなかった(伯奇が継母の懐に手を入れている様子だけが見えた)ため、そう信じてしまったのです。
継母は起きあがり、家に帰って父に言いました。
「見ましたか」
「たしかに見た」
伯奇を召して言いました。
「おまえは私の子だ。上を恐れ、下は地に恥じねばならない。にもかかわらず、なぜ継母を犯そうとするのだ」
伯奇はこう聞いて弁解しましたが、父は認めようとしませんでした。
伯奇は思いました。
「私は誤っていないが、継母の陰謀にかかった。父はこれを深く信じている。もはや自害のほかはない」
これを聞いていた人はあわれんで、伯奇に教えました。
「罪なくしていたずらに死ぬことはない。他国に逃げ行って住せばよい」
伯奇は逃げ去りました。父があらためて考えてみると継母の讒言であることが疑われました。そのとき、伯奇が逃げ去ったとの報がもたらされました。父は驚き騒ぎ、車を走らせて伯奇を追いました。ある川の岸に至り、人に問いました。
「ここに童子がきませんでしたか」
「すがた形の美麗な子が、泣き悲しみながらこの川を渡ろうとしました。子は川の真ん中まで至り天を仰いで歎いて言いました。
『私ははからずも継母の讒言によって家を離れ流浪することになった。とはいえ、行くところは知らない』
子は歎き、川に身を投げて死にました」
父は心が騒ぎ迷い、泣く泣く悔い悲しみました。
そのとき、一羽の鳥が飛んできて、父の前にとまりました。父はこの鳥を見て言いました。
「鳥よ、おまえは我が子伯奇が鳥と化したものではないか。もしそうなら、私の懐に入れ。私はおまえを恋い、深く悔いてここまで来たのだ」
鳥は飛びたち、父の手にとまり、やがて懐に入って、袖から出ました。父は言いました。
「我が子伯奇よ、鳥となったならば、私の車の上に居るがよい。私に随って家に還れ」
鳥はすぐに車の上にとまりました。父が家に着いたとき、継母は車の上に鳥がとまっているのを見て言いました。
「これは心悪しき怪鳥です。なぜすみやかに射殺しないのですか」
父は継母の言うとおり弓をとり射ましたが、その箭(矢)は鳥の方へは行かず、継母の方に行き、継母の胸に当たりました。継母は死にました。鳥は飛びあがり継母の首につき、彼女の両眼をついばみ穿った後、高く飛びあがって死にました。
死んだ後に敵(かたき)にむくいる、いわゆる鳴鳥とはこれです。雛鳥のとき継母に養われますが、成長しては継母を食い殺します。たがいに敵となること世々に絶えずと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 西村由紀子・草野真一
さまざまな文献に取り上げられた有名な話のひとつ。父=尹吉甫は周の宣王につかえたとされているから、紀元前の話である(仏教伝来以前)。
幾多ある文献のうちには川を長江とするものも多い。
末尾で「鳴鳥」について語っているが、カッコウがモズの巣に自己の卵を据えてモズに育てさせること(托卵)に似ている。もっとも、カッコウは長じてもモズを餌にすることはほとんどないので、「継母を食い殺す鳥」は日本では見られない。大陸にはあるんでしょうか。くわしい人教えてください。


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