巻9第21話 震旦代州人好畋猟失女子語 第廿一
今は昔、隋の開皇年間(581~600年)の末のころ、代州の人で王という人がおりました。帝に仕え、驃騎将軍となりました。また、荊州の鎮守をつとめました。とても狩猟を好み、朝暮に生命を殺していました。殺された獣は数えることができません。
この人にはもともと男子が五人あって、女子がなかったのですが、のちに女の子を得ることになりました。すがた形が麗しく、絵に描いたようでした。父母はもちろん、見る人はみな、かぎりなくかわいがりました。
やがて、父母はこの女子と共に、荊州より郷里(代州)に戻りました。里の人や親族は、娘にうつくしい着物を着せ、愛し養いました。父母が彼女を愛し養ったことは言うまでもありません。
七歳になったある日、娘はどこに行くともなく、とつぜん消えてしまいました。父母は驚き騒ぎ、尋ね求めましたが、見つかりません。はじめは「隣の里にでも戯れに隠れたのだろう」と言っていたのですが、やがて遠くの村々も探しまわることになりました。やはり見つかりませんでした。姿を見たという人もありません。父母は歎き悲しみました。五人の兄が馬に乗って、近くも遠くも探しまわりましたが、ついに見つけることができませんでした。
ある日、家を去ること三十余里(約120キロ)の蕀(いばら)の中で、女子が見つかりました。怪しんで近くに寄って見ると、まさにこの児だったのです。喜んで抱き寄せようとすると、児は驚いて遠くに走り去り、抱くことはできませんでした。馬を馳せて追いかけましたが、追いつくこともできません。兄たちと多くの人は、馬に乗ったまま取り囲み、娘を捕らえました。娘は声を出しました。兎の鳴き声に似ていました。抱きとって家に帰りました。
娘は口をききませんでした。身体はことごとく蕀のとげで刺され傷ついていました。母は泣きながら蕀のとげを抜きました。
娘はその後ひと月あまり飲食をせず、やがて亡くなりました。父母は悲しみ歎きましたが、どうすることもできませんでした。
「これはひとえに長年の殺生の過(とが)だ」
年来の殺生の罪を悔い、殺生をやめ、家を挙げて戒を持し、善を行じました。
「殺生の罪は現報(この生で報いがある)である」と知るべきであると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一


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