巻9第35話 震旦庾抱被殺曽氏報怨語 第卅五
今は昔、震旦(中国)の隋の時代に、庾抱(ゆほう)という人がいました。江南の名家の出身でした。幼いころから学問を学び、庾抱も兄とともに世間によく知られた人物でした。
ところが、大業九年(613年)、揚州の玄感という人物が反乱を起こして皇帝に背く事件(楊玄感の乱)がありました。その際、庾抱の兄は玄感に味方した者として殺されてしまいました。そのため、「兄の罪に連座して庾抱も殺されるだろう」という噂がたちました。それを聞いた庾抱は、ひそかに逃亡して都に身を隠しました。
翌年、庾抱はこっそり秘書省へ入り、以前からの知人を訪ねようとしました。そのとき、煬帝(隋の皇帝)は城内におらず、王城の門はほとんど閉ざされていました。ただ安上門だけが開いており、人々はそこから出入りしていました。
庾抱が恐る恐る門を通ろうとすると、昔からの知人に出会いました。その人は曽という姓で、南方の出身でした。
曽氏は庾抱を見ると問いました。
「私は今、この王城の留守役を務めている。あなたなぜここにいるのだ」
庾抱は、自分は秘書省へ行くつもりであると答えました。曽氏はそれを聞いて別れました。
ところが、庾抱が秘書省に入ると、役人に捕らえられました。曽氏が知らせたのです。役人は庾抱を捕らえたことを秘書省に報告しました。
そのとき、王邵(おうしょう)という人物がいました。彼は秘書省の少監(次官)で、以前から庾抱をよく知っていました。そこで王邵は、すぐに庾抱を罪に問おうとせず、庾抱を捕らえた者に向かって言いました。
「私は昔から庾抱を知っている。この人は庾抱ではない」
庾抱はその意図を察し、その言葉に合わせて、「私は南方での兵役を逃れてきた者です」と言いました。王邵は庾抱を追い出すふりをして、逃がしてやりました。
しかし、庾抱を捕らえた者がそれを曽氏に報告しました。曽氏は安上門で待ち伏せし、庾抱を捕らえました。庾抱は、もはや助かる見込みがないと悟り、曽氏に向かって言いました。
「私は捕らえられ、死のうとしている。死ぬのは前世の報いだろう。しかし、私はあなたに恨まれるようなことはしていない。にもかかわらず、あなたは昔からの知り合いなのに、私を助けようともせず、見逃さなかった。これは本当に恨めしいことだ。私が死んだなら、このことを忘れず、必ず報復してやる」
曽氏はこれを聞き入れず、ついに庾抱を処刑しました。
その後、数日が過ぎました。曽氏の家は太平坊(長安の街区)にありました。ある日、王城へ勤務に向かう途中、善科里に立ち寄ったところ、西門の内側で庾抱の姿を見ました。馬に乗り、立派な衣冠を身につけていました。その姿はたいへん晴れがましく、二人の青衣(冥界の衣装)の従者が後ろに従っていました。曽氏はこれを見て、驚き怪しみました。
庾抱が言いました。
「私は今、太山府君(道教の神。別名・東獄大帝。冥界の支配者)の主簿(補佐)に任じられている。あなたの寿命は尽きようとしている。本来なら、あなたにはまだ三年の寿命が残っているはずだった。しかし、あなたは私を殺した。そこで私は天帝(人の生死を決定する神)に願い出て、恨みを晴らし、あなたを殺そうとしているのだ」
曽氏はこれを聞くと、頭を地につけて謝罪し、限りなく悔い悲しみました。そして、「あなたのために追善供養をします」と願いました。庾抱は深く恨んでいましたが、「善根を積む(供養する)」と聞いて許し、その場から姿を消しました。
さらに数日後、曽氏は再び庾抱に会いました。庾抱は言いました。
「本当はおまえを捕らえて殺そうと思っていた。しかし許してやる。私のために七日間、追善供養をしろ。もし約束を破れば、私はおまえの首を取って持ち去る。もしこの言葉を信じないなら、おまえが死ぬとき、顔が後ろを向くことになるだろう」と
曽氏はこれを聞いてひどく恐れ、約束を受け入れました。すると庾抱は姿を消しました。
曽氏は家へ帰ると、すぐに追善供養をしました。しかし、それでも曽氏が死ぬときになると、顔が後ろを向いてしまいました。庾抱が言ったとおりであり、少しも違いませんでした。これは人を殺した罪による報いだったのです。
この話から考えると、たとえ仇を報じるためであっても、人を殺してはいけません。まして恨みもない相手を殺すなど、なおさら許されることではありません。曽氏は人を殺した罪によって、悪い報いを免れることは難しかったのだろうと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一










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