巻9第36話 震旦眭仁蒨願知冥道事語 第卅六
今は昔、震旦の隋の代に、眭仁蒨(すいにんせん)という人がありました。幼少より経書を学び、鬼(解説参照)を信じませんでした(儒教を学び、道教=民間信仰を信じなかった)。「神の有無を知ろう」と思い、鬼を見たという人について、それを学びました。十余年間、その法を学びましたが、ついに鬼を見ることはできませんでした。
ある日、家を出て県の役所に行く道すがら、一人の人に会いました。いかめしい役人ふうの人でした。冠をつけ、赤い上着を着て、りっぱな馬に乗っていました。それまでまったく見たことがない人でした。眷属(従者)を五十余人ひきつれていました。この人は仁蒨に会っても、ひとことも話しませんでした。このようなかたちで数十度は会ったでしょうか。十年ほど経ちました。
あるとき、この人が馬をとめ、仁蒨に声をかけました。
「私は君を見るたび、敬いたいと思っていました。願わくは、君と交遊したいと思います」
仁蒨は問いました。
「あなたはどういう人ですか」
「私は鬼です。姓は成、名は景と申します。以前は弘農県に住んでいました。西晋のころには国の介(長官の補佐)でした。今は胡国の長史(次官)をしています」
仁蒨はさらに問いました。
「その国はどんな国ですか。王の姓名は何といいますか」
「黄河の北はわが胡国です。都は楼煩(ろうはん)の西北にあります。砂漠の国です。王は趙の武の霊王といいます。今、国は太山夫君に統治されていて、毎月やんごとない鬼神などを大山に集めています。私はこれに参加するため毎日ここを通り、あなたと出会っていました」
仁蒨は言いました。
「人と鬼神は世界が異なります。どうしてあなたと交遊できるでしょうか」
「あなたが私をおそれ、親密になれないということはありません。私は役にたちます。もしあなたが禍いにおそわれ、難に悩まされたならば、それを去らせることができます。災害が起こればあなたをそこから逃れさせることができます。ただし、前世からの宿命としてあなたが負っていること、そしてこの世で犯した罪にたいする罰だけは、どうすることもできません」
仁蒨は「これはとても望ましいことだ」と考え、大いに恐れながらも景の申し出を受け入れました。
景は仁蒨に従者をつけ、命じました。
「仁蒨の身の上に起こることをすべて私に伝えなさい」
従者にそう教えると、景は去りました。従者はまるでいやしい奴隷のように仁蒨につきしたがい、仁蒨の身に起こることを予知して伝えました。
(②に続く)
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 草野真一
鬼と神
文中、「鬼」と表現しているところ、「神」と表現しているところ、「鬼神」としているところが混在している。基本的に景やその眷属(家来)を言っているので、同じ人を異なる呼び方で呼んでいるのだ。
鬼にせよ神にせよ、現代日本語で流通しているような意味では使われていない。あえて現代日本語で述べるならば「霊」「この世ならぬ者」となる。
胡国
胡国とは匈奴や鮮卑に代表される北方遊牧民族国家の総称である。人類最大の建造物・万里の長城は、彼らの中原(中国大陸)への侵入を防ぐためにつくられた。
この話では、景の母国は胡国とされている。つまり、胡国は中国大陸の外の世界だから冥界と同じと考えられていたのだろう。
この話は唐時代の話だから、五胡十六国の小国乱立時代を経た後の話である。それでもあの世あつかいとは。根の深さに驚かざるを得ない。
ちなみに、元や清は胡が立てた王朝である。人類史上もっとも広範な領土をもったのはモンゴル帝国だが、これすなわち胡国である。









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