巻9第38話 後魏使徒不信三宝得現報遂死語 第卅八
今は昔、震旦の後魏の時代に、司徒(三公と呼ばれた最高位の役職)の崔浩という人がいました。学問が広く、知恵も深い人でした。太武帝に仕えていました。
帝は、この人が申し上げたり行ったりすることに、一つとして逆らうことがありませんでした。そのため、皆が崔浩にならいました。誰ひとり、この人に従わない者はいませんでした。
この人は道士(道教の僧)の寇謙之に仕え、その道を学びました。そして、仏道をまったく信じず、「これはでたらめな教えです」と言っていました。民衆はみな、この考えに従いました。
ところが、崔浩の妻は仏法を信じて、いつも経を読んでいました。司徒はこれを見ると、経を奪い取って井戸の中に投げ入れました。
そのようなことがあった後、司徒は太武帝に従って長安に行きました。ある寺に入ってみると、弓矢・刀・楯などが置いてありました。これを見て、帝は怒り、寺の僧たちを捕らえて殺しました。
司徒は進み出て帝に申し上げました。
「すべての沙門(仏僧)を殺し、経蔵を焼いてください。『ほかの地は長安で行われたことに従え』という命令を各地に発してください」
ところが、寇謙之は司徒に反対し、僧を殺さないことを主張しました。しかし、司徒はその命令に従いませんでした。
謙之は司徒に言いました。
「あなたは、これから重い罪を受け、一族を滅ぼすことになるでしょう」
その後、四年が過ぎました。司徒は自分の罪を少しも気にすることがありませんでした。
ところがあるとき、司徒は思いがけず一族の罪に巻き込まれ、罪を受けることになりました。司徒は車に乗せられ、十人ほどの警備の官使の尿を、口に受けました。
連行される間、司徒は苦しみに耐えられませんでした。
「を助けてください。どうか哀れんでください」
司徒は叫びました。しかし、ついに助ける人はなく、五刑をすべて受けました。昔から今に至るまで、このような罪罰はありませんでした。
その後、帝もまた太子を理由もなく殺しました。そして、に宦官の宗愛によって殺されました。
人々は口々に言いました。
「帝と司徒は仏法を信じず、僧を殺し、経蔵を焼いた。その報いを受けたのだ」
国王や大臣は、決して重い罪を犯してはならず、仏法を尊ぶべきです。現報を受けるということは、このようなものであると、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 西村由紀子
「三武一宗の法難」と呼ばれる廃仏皇帝のひとり、北魏の太武帝とその宰相・崔浩の物語。









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