巻9第7話 会稽州曹娥恋父入江死自亦身投江語 第七
今は昔、震旦(中国)の会稽(浙江省)に曹娥という女性がありました。その父は管絃を好み、常に楽器を持っていました。友人の遊戯の際にはかならず声がかかり、連れていかれました。
あるとき、曹娥の父は管絃を生業とする女性たちにつれられ、江(川)に行き、船に乗って水に浮かび、遊んでおりました。にわかに船がただよい、父は江に投げ入れられました。曹娥の父と船の内の人はみな溺れて死にました。浮かびあがる骸はありませんでした。
そのとき、曹娥は十四歳でした。これを聞いて江に臨みました。父を恋い、泣き悲しみ、七日七夜、声をあげて叫びました。その声は絶えませんでしたが、やはり父の骸を見ることはできませんでした。
七日目、曹娥は衣を脱ぎながら、誓って言いました。
「この衣を江に投げ入れます。もし父の死骸を見つけることができるなら、衣は沈むでしょう。できないならば、沈まないでしょう」
江に衣を投げ入れると、衣は沈みました。曹娥はそれを見ると、我が身を江に投げました。
子が父母の死を恋い悲しむのは常のことですが、命を棄てることはありません。この話を聞く人は、曹娥を哀れみ、「奇異のことである」と思いました。また、その県の令(県令、知事のような役職)はこれを聞き「奇異である」と感じ、曹娥のために碑を立てて、その孝の深さを示したと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 西村由紀子
『孝子伝』より得た話。『今昔物語集全訳注』(講談社学術文庫、国東文麿)によれば、曹娥の父は単なる楽人ではなく、巫覡、すなわちシャーマン楽団の一員であり、杭州湾ならびに現在は曹娥江と呼ばれる大河の波の神を鎮めるために乗船したとある。日本には該当の習俗がないので、川遊びとして描かれた。
(以下、草野記)
いつも原文参照元としてお世話になっているやたがらすナビさんが、ブログでこの話にふれています。三国志で名高い曹操も登場する興味ぶかいエピソードを紹介してくれています。
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