Twitterで『今昔物語集』に関するたいへん興味ぶかい論議があったのでご紹介いたします。
発端は、牛頭凡俗さん(@GozuBonzoku)による次のツイートがあったことです。
芥川龍之介の『鼻』について
— 牛頭凡俗 (@GozuBonzoku) January 24, 2021
夏目漱石が【材料が非常に新しい】とコメントした件。1916年のこと。
『鼻』の元話が今昔物語集にあるのは、みんな知ってるけどさ。
今昔物語集自体が、世に知られたのは1920年なのです。
つまり
✅公表前の研究資料
✅今昔物語集は、非常に新しい
#漱石の鼻
要約しますと、芥川龍之介が作家デビューの前に習作である『鼻』を夏目漱石に見せたところ、【材料が非常に新しい】と評され、これが師事のきっかけになったということです。1916年のことでした。
『今昔物語集』は現代のように簡単にふれられるものではありませんでした。
とはいえ、ふれようと思えばふれられるものであったのは事実でしょう。
佐もんじさん(@tjgp_w57)が上のツイートに、以下のような実証的なツイートで反論をしています。
『今昔物語集』の最善本とされる鈴鹿本が紹介されたのは大正九年(1920)。でも江戸時代中期から『今昔物語(集)』は出版されていたし、明治三十四年(1901)には国史大系でも活字化されている。材料の新しさというのはそういう意味じゃないのでは。。。https://t.co/x3Ta5xQKAn
— 佐もんじ (@tjgp_w57) January 24, 2021
『今昔物語集』は1901年に『国史大系』で活字化されています。
さらに、芳賀矢一による注釈入りの『攷証今昔物語集』の出版が1913年です。
また、漱石が英国留学した年に英国より帰国している南方熊楠は幾度となく引用しています。
さらに言えば、熊楠は自分が披露した知識が芳賀にことわりなく引用されていることにずいぶん怒ってます。
熊楠の『今昔物語集』は電子化されているそうで。
夏目漱石と南方熊楠は東大予備門(明治政府が最高学府をつくるために全国から秀才を集めた。正岡子規や秋山真之がいた)で同級でした。
下の記述によれば19世紀半ばには図書館もつくられていたそうで、ここで『国史大系』を閲覧することも可能だったでしょう。「見ようとすれば見られた」というのが正しい解釈だと思われます。
とはいえ、今ほど一般的なものでなかったのは間違いなく、それを小説のネタにするのは新しかっただろうな、と思います。
なお、『今昔物語集』の原本はここで接することができます。
鎌倉時代の写本だそうですが、一生懸命読もうとすればこれを読むことも可能です。いい時代ですね。
『攷証今昔物語集』はこの記事がくわしいです。
(文責:草野真一)
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