巻十三第四話 鬼女に愛欲の心を起こした僧の話

巻十三

巻13第4話 下野国僧住古仙洞語 第四

今は昔、下野国(現在の栃木県)に僧がいました。名を法空といいます。法隆寺に住み、顕密の法文を学びました。また、法華経を堅持し、昼に三部、夜に三部を読誦して、懈怠する(けだいする。なまけおこたる)ことはありませんでした。

そうする間に、法空はわずらわしい俗世間を忌み嫌い、「仙人の道を探求したい」と思う心が起こって、元いた寺を捨てて生まれた国に戻り、東国の山々を廻りながら修行をしていますと、「人が踏み分けた跡も消えた山の中に古い仙人の洞窟がある」ということを伝え聞きました。そこでその場所を訪ねていき、洞窟を見てみますと、五色の苔を屋根を葺き、扉とし、隔てとし、板敷、敷物としてありました。また、洞窟の前の庭にも敷いてありました。法空はこれを見て、「これこそ、私が仏道を修行するための場所だ」と喜んで、この洞窟に籠って一心に法華経を読誦して年月が経ちました。
ある日、にわかに端正美麗な女人がやってきて、なんとも言えず味わい深い食物を捧げて法空を供養しました。法空はこれを訝しく怪しく思いましたが、恐れはしませんでした。これを食べますと、美味なことこの上ありませんでした。

法空は女人に問いました。「あなたはどういう女人で、どこから来たのですか。ここは人の気配から遥かに離れた場所です。とても怪しく思われます」女人は答えました。「私は人間ではありません。羅刹女(女の鬼)なのです。あなたが法華経を読誦する薫修が入っていたため(習慣になっていたたため)、私どもも自然とやって来て供養するのです」法空はこれを聞いて貴ぶことこの上ありませんでした。このようにつねに供養が行われたため、法空は飲食に乏しい思いをすることはありませんでした。

そうする間、様々な鳥や熊、鹿、猿などがやって来て、庭の前にいて常に法華経を聞いていました。その時に一人の僧がありました。名を良賢といいます。一つの陀羅尼(呪文)を受持して、様々な国の霊験あらたかなところを廻って修行し、定まった住処を持っていませんでしたが、ある時不意に道に迷ってこの洞窟にたどり着きました。法空は良賢を見て「おかしなことだ」と思い、「あなたはどういう人で、どんな所から来られたのですか。ここは山深く、人里から遥かに離れたところで、簡単に人が入ってこられる場所ではありません」と言いました。良賢は「私は山林に入って仏道を修行しておりましたところ、道に迷って自然とこちらに来てしまったのです。聖人は、どういう方で、なぜこちらにいらっしゃるのですか」と言いました。そこで法空は自らの来し方をつぶさに語りました。

このようにして、何日かこの洞窟に共に住んでおりましたところ、あの羅刹女がいつもやって来ては法空に食物を供えるのを良賢が見て、聖人に問いました。
「この場所は、遥かに人の気を離れております。どうしてこんな端正美麗な女人がいつもやって来ては食物を供えているのですか。あの人はいったいどこからやって来るのでしょう」
聖人は答えました。「私はあの方がどこから来られるのか知りません。法華経を読誦しているのを喜ぶがゆえに、ああしていつも来ているのでしょう」

すると良賢はこの女人の端正美麗であるのを見て、「これはきっと里から、法華経の持者を貴んで食物を持ってくる女人であるのだろう」と思い、にわかに愛欲の心を起こしました。その時、羅刹女は良賢の心を察知して、聖人に告げました。「破戒無慙の者がこの静寂で清浄なところに来ております。罰を与えて命を奪ってやりましょう」
聖人は言いました。「罰を与えて殺すなどということはあってはなりません。ただ命を助けて人間界に返すのが良いでしょう」すると羅刹女はたちまち端正美麗の姿を捨てて元の忿怒暴悪の姿になりました。良賢はこれを見て大いに恐れまどいました。羅刹女は良賢を引っ提げて、普通なら数日かけて出る道を一時に人里へ連れて出て、その場に良賢を棄てて帰りました。

良賢は息も絶え絶えに、気を失っていましたが、しばらくして目覚めました。自らが凡夫であるために、法華守護の十羅刹女に愛欲の心を起こした咎(とが、罪)を悔い悲しみ、たちまち道心を発しました。体は弱り、心乱れて、なんとか生きているような状態でしたが、なんとか古里の国に帰り着き、このことを人に話して、初めて法華経を受持し、学んで、心を尽くして読誦しました。

これを思うに、良賢の愚痴(迷妄)が招いたことだったのです。ですから、これをもって、羅刹女が法華経を守護する善神であると知るべきだ、と語り伝えられています。

【原文】

巻13第4話 下野国僧住古仙洞語 第四
今昔物語集 巻13第4話 下野国僧住古仙洞語 第四 今昔、下野の国に僧有けり。名をば法空と云ふ。法隆寺に住して顕密の法文を学ぶ。亦、法花経を持(たもち)て、日毎に三部、夜毎に三部を読誦して、懈怠する事無し。

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

【解説】 昔日香

※顕密…顕教と密教を併せたもの。本来は仏教の教相判釈における二分法であるため、仏教そのものを指すことになる

※破戒無慙…戒律を破っていながら、それを恥であるとまったく感じないでいること

※十羅刹女…仏教の天部における10人の女性の鬼神。鬼子母神と共に法華経を守護する諸天善神である。法華経では、これらの鬼神が釈迦から法華経の話を聞いて成仏できることを知り、法華経を所持し伝える者を守護することを誓っている。『法華経』陀羅尼品第二十六

絹本著色鬼子母神十羅刹女像 (室町時代、愛知県幸田町長満寺)

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