巻三十第一話 美女のウンコを食う話(芥川龍之介『好色』元話)

巻三十

巻30第1話 平定文仮借本院侍従語 第一

今は昔、兵衛佐(ひょうえのすけ、天皇を守護する役職)平定文という人がありました。字(あざな)を平中といいます。品もよく家柄もよく、姿かたちも美しい人でした。人あたりもよく話もおもしろく、世のあらゆる人にまさっていました。人妻や娘、さらに宮仕えの人など、平中に言い寄られない女はありませんでした。

そのころ、本院の大臣(おとど、藤原時平)という人がありました。その屋敷に、侍従の君という若い女房(女官)がおりました。姿かたちが美しく心ばえもよい宮仕人でした。平中は本院の大臣の屋敷に出入りしていたので、侍従がたいへんな美人だという噂を聞き、会いたいと思いました。何度も手紙を書いたのですが、侍従は返事をくれません。平中はすっかり落ち込んで、次のような泣かんばかりの手紙を送りました。
「ただ、手紙を『見た』という二文字でけっこうです。返事をください」

『北野天神縁起絵巻』承久本(1219)巻五より藤原時平

使が侍従の返事を持ってやってきました。平中はあわてふためき、モノにぶつかりながら手紙を見ました。手紙には、ただ「見た」とあるのみでした。しかも、「手紙を『見た』という二文字でけっこうです」と書いた平中の手紙の「見た」いう二文字を切り取り、薄紙の便箋に貼り付けてあったのです。平中はこれを見て、とてもねたましく、わびしく感じました。

これが二月の末日(旧暦)のことです。平中はこの後しばらく、「もうよそう。心を尽くしても甲斐のないことだ」と思い、手紙も送らずに過ごしていました。
五月の二十日すぎ、大雨が降り、ひどく暗い夜がありました。
平中は考えました。
「こんな夜に尋ねていけば、鬼のように非情な心の持ち主でも、心を動かされるのではないか」
夜がふけて雨が激しく降り続け、道さえ見えぬ暗闇の中、平中は本院の屋敷に参りました。(侍従が勤める)局から、女の童が出てきました。これを呼び、「思い詰めて参りました」と伝えると、やがて童が侍従の返事を持って参りました。
「今はまだ、誰もお休みになっていません。御前(大臣の前)を下がるわけには参りませんので、今しばらく待っていてください」
平中はこれを聞くと、胸が騒ぎました。
「やはり、こんな夜にたずねてくる人に心を動かされぬはずはないのだ。来てよかった」
平中は戸のすきまに身を寄せて待っていましたが、まるで幾多の年月を過ごすように待ち遠しく感じました。

一時(二時間)ほどすぎて、誰もが寝静まる時間になりました。中から人の足音が聞こえ、戸のかけがね(鍵)を開け放ちました。平中がおおいに喜んで戸を引くと、簡単に開きました。夢のように思って、喜びにふるえました。「体がふるえるなんて、まったくこれはどうしたことだ」と思いました。

体のふるえを静めて中に入ると、虚薫(そらだき)の香が部屋に満ちていました。平中は寝床と思われるところを探り、入りました。ひとえ一枚で女が横たわっていました。頭や肩はほっそりとしており、髪は氷のようにひややかです。

平中は喜びのあまりものを言うこともできませんでした。
そのとき、女が言いました。
「たいへんなことを忘れていました。障子のかけがねをかけていません。行ってかけてきます」
平中が「はやく行ってらっしゃい」言うと、女は起き上がって衣をはおらず、ひとえと袴で出て行きました。

平中は服を脱いで待っていましたが、障子のかけがねを下ろす音は聞こえたのに、女はやってきません。「もう来るだろう」と思っていると、奥の方で歩き去る足音がします。そのまましばらく待っていましたが、女は来ません。
おかしいな、と考えて障子のところに行ってみれば、かけがねはこちらではなく、外側からおろされていました。平中は怒り、そして泣きました。何も考えられず、障子のそばに立ち尽くしていました。外の雨にも劣らぬほど涙がこぼれました。

「こんなことをするなんて。こうまでしてだますなんて。なんとあさましく、ねたましいことだろう。こうなることがわかっていれば、一緒に障子のかけがねを下ろしに行ったのに。私を試そうとしたのだ。マヌケだ、バカだと思っているにちがいない。こんな思いをするならば、会わない方がよかった」
平中はくやしがりました。
「夜が明けても、ここにいてやろうか。『平中が来ている』と人に知れるだろう」
しかし、明け方近くなりますと、人が起き出す音がしました。
「それをしても仕方ない。(自分が情けないだけだ)」と考え、夜が明ける前に屋敷を抜け出しました。

その後、平中は「侍従の悪い噂を聞いて、嫌いになれたらいい」と思いました。ところが、そんな噂はまったくありません。平中は思い焦がれるまま、毎日を送りました。
ふと、こう考えました。
「どんなに美しい人であろうとも、筥(はこ、便器)にするものは、私たちと変わらぬものだ。これを見れば、どんな恋も冷めるにちがいない」
そこで、筥を奪い取って見るために、女の部屋の近くにいました。すると、十七八歳ぐらいの、姿かたちのかわいらしい女性が、瞿麦(なでしこ)重の薄物の袙と濃い色の袴を着こなし、香染の薄物に筥を入れ、絵が書かれた赤い扇で隠して部屋から出るのが見えました。
平中は喜びつつ、人気のないところで彼女に走り寄り、筥を奪いとりました。彼女は泣き叫んでいましたが、平中は人のいない部屋に入り、中から錠を下ろしてしまいました。

筥には琴漆(ことうるし)が塗ってありました。裏返してみると、中身はともかく、開けるのを躊躇してしまうようなみごとな筥でした。しばらく開けずにほれぼれと眺めていましたが、「こうしてはいられない」と考え、おそるおそる筥の蓋を開けてみました。

すると、丁子(ちょうじ、香木)の香がたちこめました。意外に思って筥の内をのぞきこむと、薄香の液体が半分ほど入っており、そこに親指ほどの大きさの、黄黒ばんだものが3つ、浮かんでいました。

「これこそがそれだ」と思って見ますが、かぐわしい香りは絶えません。浮かんでいるものを木の枝で突き刺して、鼻にあててかぐと、黒方(くろぼう、数種の香をあわせたもの)の香りがしました。まったく思いもよらないことでした。
「彼女はこの世の人ではないのだ」と考えると、「なんとかして仲良くなりたい」という気持ちがつのりました。
筥を引き寄せて、中の液体に口をつけて飲んでみると、丁子の香りが深くなりました。また、木の枝で突き刺したものを、口にふくんでみると、苦くて甘い、とてもかぐわしいものでした。

平中は鋭い人でしたから、すぐさま理解しました。
「尿のように見せかけたのは、丁子を煮てその汁を入れたものだ。もうひとつは、香をたきこんだ野老(ところ、ヤマイモ)に、あまづら(甘味料)をつけてこね、大きな筆の軸にに入れて作ったものだ」

「これを作ることは誰でもできるだろう。だが、いったい誰が『これを奪い取って見る者がいる』という予想がつくというのだ? 彼女は常人ではない。この世ならぬ者なのだ」
平中はそう感じ、なおいっそう、彼女に会いたいという気持ちがつのりました。やがて、彼は病の床につき、懊悩のうちに死にました。

無益なことです。男も女も罪深いものです。世の人は「あまりはげしく恋心を抱いてはいけない」と語り伝えたといいます。

【原文】

巻30第1話 平定文仮借本院侍従語 第一
今昔物語集 巻30第1話 平定文仮借本院侍従語 第一 今昔、兵衛の佐平の定文と云ふ人有けり。字をば平中となむ云ける。品も賤しからず、形ち有様も美かりけり。気はひなむども、物云ひも可咲かりければ、其の比、此の平中に勝れたる者、世に無かりけり。此る者なれば、人の妻・娘、何に況や宮仕へ人は、此の平中に物云はれぬは無くぞ有...

【翻訳】
草野真一

【校正】
草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
草野真一

本話の主人公・平中は古典文学『平中物語』の主人公であり、『伊勢物語』の在原業平とともに、平安貴族きってのプレイボーイ・色事師・ジゴロと名高き人である。

芥川龍之介の『好色』は、この話をアレンジしたものであるが、『鼻』や『羅生門』とは異なり、あまり高い評価を得られていない。

それもそのはず、そのまんまなのだ。 『鼻』や『羅生門』は『今昔物語集』に収録された物語を題材にして、近代(現代)人の苦悩を描いてみせた。その評価の中には、卓越したアレンジ・テクニックを賞賛するものも多かった。

ところが、『好色』にはそれがほとんど見られない。「平中が侍従に焦がれて彼女のウンコを食ったらうまかった」という話の流れはまったく同じ。「手紙を『見た』という返事をくれ」と送ったら、返事に「見た」と書いた部分を切り取って貼ってあったというイントロも同じ。アレンジ、もっといえば工夫が足りないのではないか。それが一般の評価である。

仕方がないともいえる。この話のおもしろさ・奇妙さって、ちょっと他じゃ得られないたぐいのものだから。

また、この話は恋愛を大きなテーマのひとつとしているが、芥川には書き切れなかったのかもしれない。彼は天才だが、『好色』を書いたときは二十九歳の青年である。大正時代の二十九歳に、この話はちょっと重かったのかもしれない。なにしろスカトロだもんなあ。

芥川龍之介 好色

この話はふたとおりの解釈ができる。

ひとつは、平中が恋わずらいを通り越して、狂気の域に至っていたケース。惚れた女のウンコにかぐわしい香りをかぎとり、食ってみてヤマイモだと考えるのは、病が重いせいだ。事実、平中はこの後ほどなくして病死しているのである。この場合、ウンコはホンモノだ。

もうひとつは、平中が感じたとおり、侍従が常人ではなかったというケース。事件をありのまま解釈するならば、そうとしか考えられない。侍従は未来に起こることを予期して、便器にヤマイモを忍ばせておいたのである。

いずれの場合も、ここではとても異常なことが起こっている。

同じ話は、『宇治拾遺物語』にもある。ただし、こちらでは平中は死んでいない。 

鳥文斎栄之 「源氏物語春画巻」

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