巻三十第五話 おちぶれた夫と豊かになった妻が再会する話

巻三十(全)

巻30第5話 身貧男去妻成摂津守妻語 第五

今は昔、京にとても貧しい人がいました。身分も高くありませんでした。

頼れる知人もなく、父母親類もなく、家もなかったので、人に雇われて身をよせていました。そこでも重用されることはなかったので、「もっとよいところはないだろうか」と探していましたが、どこへ行っても同じことだったので、ついに仕えることもなくなりました。
その人の妻は、若く、姿も美しく、心もやさしかったので、貧しい夫につきしたがっていました。夫はおおいに思い煩い、妻に言いました。
「この世にあるかぎりはいっしょにいようと思っていたが、貧しさは増すばかりだ。ともにあることが悪いのかもしれない。別れようと思うが、どうか」
「私はそんなことを思ったことはございません。今、不幸なのは、ただ前の世の報いです。いっしょに餓死する覚悟でおりました。しかし、日を追って貧しさが増しているのは事実です。本当にともにあるのが悪いのかもしれません。別れて試してみるべきかもしれません」
ふたりは互いに再会を約束し、泣く泣く別れました。

その後、妻は、年齢も若く姿かたちも美しかったので、ある人に仕えることになりました。もともとやさしい心の持ち主ですから主人にもかわいがられていたところに、主人の妻が亡くなりました。女とはより親しくなり、身のまわりの世話などさせていて、同衾してもとてもよく思えたので、のちにはこの女を妻のように扱うようになり、すべてのことをまかせて過ごすようになりました。

やがて、主人は摂津(大阪府)の守になりました。女は豊かになり、幸福に年月をかさねていきました。最初の夫は、「妻と離れてどうにかなろう」と思っていましたが、その後、ますますうまくいかず、ついには京にもいられず、摂津の国へと迷い来ていました。そこで農夫となって人に使われていたのですが、下人のように田仕事・畑仕事・木こりなど、うまくできません。雇用主は、男を難波の浦(大阪湾、淀川河口付近)に葦を苅りにやりました。
そのとき、摂津の守が、妻とともに難波のあたりに車を留め、郎等・眷属(家来)と酒宴して遊びたわむれておりました。守の北の方(妻)は車にいて、女房(従者)などといっしょに、難波の浦のすばらしい景色を見て楽しんでいました。浦には葦を苅る下人が多くありました。

鷺と葦(鈴木春信・画、18世紀)

その中に、下人ながらどこか気品のある男が一人おりました。守の北の方はこれを見て、「どこか私の昔の夫に似ているなあ」と思いました。見間違いかと思い、さらに見ると、まさしく昔の夫でした。

みすぼらしい姿で葦を苅っているのを見て、涙をこぼしました。
「なんと情けないことだろう。どんな前の世の報いだろうか」
さりげない顔をして人を呼び、言いました。
「あの葦苅る下人の中の、こういう男を召せ」
使いは走って行って男に「御車に召された」と伝えました。男は思いもかけないことだったので、ただ呆然として立っていると、使いは「はやく来い」と怒鳴っておどしました。男は葦を苅る作業を中途でやめ、鎌を腰に差して、車の前に参りました。

近くでよく見ると、たしかに昔の夫でした。泥に汚れ真っ黒けで、袖のない麻の布の、ひまでしかないものを着ていました。よれよれになった烏帽子をかぶり、顔にも手足にも土をつけて、とても汚い様子でした。ひざには蛭が食いついていて、血みどろになっていました。
北の方は情けなく思い、人を呼んで食べ物と酒を供しました。車の方に向かって食べ物にがっつくさまは、とてもあさましいものでした。

北の方は車の女房に「葦を苅る下人の中にあの男があって、気品があるように見えたので、かわいそうに思った」と語りました。
車の内より衣を一枚とって、「これをあの男にあげなさい」と言って、一枚の手紙を衣といっしょにわたしました。

あしからじとおもひてこそはわかれしかなどかなにはのうらにしもすむ

(悪しくはなるまいと思って別れたのに、どうしてあなたはあし刈りなどして難波の浦に住んでいるのですか)

男は衣をいただきましたが、思ってもみないことだったので、どういうことかと見ると、衣に紙がはさまれています。とって読むと、「ああ、これは昔の妻だ」と気づきました。「私の宿世は、なんと悲しく恥ずかしいことだろう」と思えてなりませんでした。「硯をください」と望み、こう書いて奉りました。

きみなくてあしかりけりとおもふにはいとどなにはのうらぞすみうき

(あなたと別れて、悪しかったと思うにつけても、このあしを刈る難波は、さらに住みづらくなります)

北の方はこれを見て、いよいよあわれに、悲しく思いました。

この後、男は葦を苅らずに走り隠れました。北の方はこのことを人に語ることはなかったといいます。

前の世の報いを知らないがゆえに、おろかにも身をなげくのです。この話は北の方が年老いて語ったものでしょうか、それが語り伝えられています。

【原文】

巻30第5話 身貧男去妻成摂津守妻語 第五
今昔物語集 巻30第5話 身貧男去妻成摂津守妻語 第五 今昔、京に極て身貧き生者有けり。 相知たる人も無く、父母親類も無くて、行宿る所も無かりければ、人の許に寄て仕はれけれども、其れも聊なる思(おぼえ)も無かりければ、「若し、宜き所にも有る」と、所々に寄けれども、只同様にのみ有ければ、宮仕へも否(え)為で、為べき...

【翻訳】 葵ゆり

【校正】 葵ゆり・草野真一

【協力】 草野真一

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