巻27第40話 狐託人被取玉乞返報恩語 第四十
今は昔、もののけがとりつく病にかかった人がありました。もののけは巫女の口を借りて言いました。
「おれは狐だ。たたりのために来たのではない。ただ、『こういうところにはおいしい食べ物がたくさんある』と思ってのぞいていたのを、このようにつかまってしまったのだ」そう言って、懐からみかんの実ほどの白い玉を取り出し、お手玉をして遊んでいます。
それを見ていた人が思いました。
「不思議な玉だが、これは巫女がはじめから懐に忍ばせておいて、だまそうとしてるんじゃないのか」
傍にいた若く勇ましい侍ふうの男が、巫女が投げ上げた玉を奪い、懐に入れてしまいました。
すると、巫女に憑いた狐が言いました。
「ひどいことをするじゃないか。その玉を返してくれ」
男はまったく聞きません。狐は泣く泣く言いました。
「おまえがその玉を持っていても、使い方を知らないのだから、なんの役にも立たないだろう? おれは、その玉がないととても困るんだ。返してもらえないなら、おれは末永くおまえを呪い、復讐する。返してくれたなら、おれはおまえの守り神となり、おまえを守ってやる」
男は自分が持っていても仕方ないと思いました。
「では、私の守り神になってくれるか」
狐は答えました、
「当然だ。必ずおまえを守る。われわれは人間のように嘘をつかない。恩を受けて、それを返さないこともない」
「おまえをとらえている護法(狐を縛っている善神)にも、証せるか」
「護法も聞くがいい。玉を返してくれるならば、おれは必ずこの人の守り神になる」
男はこれを聞くと、懐から玉を出し、巫女に与えました。狐は喜んでこれを受け取りました。その後、験者に追われ、狐は去りました。
狐がいなくなってから、人々は巫女の懐中を探りましたが、玉はありませんでした。
「あれは、本当に狐のものだったのだ」
みなが知りました。
ある日、この玉をとった男が太秦の広隆寺に参詣しました。御堂を出たときにはすでに日が暮れており、内野を通り、応天門に至ると、ひどく恐ろしく思えました。
困ったことだと思いましたが、狐が「守り神になる」と語っていたことを思い出しました。暗闇にひとり立ち、声をかけてみました。
「狐、狐」
コンコンと鳴きながら出て来ました。男は狐に言いました。
「狐よ。おまえは嘘をつかなかったな。かわいいやつだ。ここを通ろうと思うんだが、恐くて通れない。道案内をしてくれ」
狐は「わかった」という顔をして、ふりかえりながら歩いていきます。
男はその後をついていきました。狐はふだんの道ではなく、いつもと違った道を歩いていきます。やがて、狐はたちどまり、背をかがめて、こちらを見返り、抜足で歩きました。男も同じように抜足で歩いて行くと、人の気配がします。
見れば、弓箭・兵仗を帯した者(弓や刀で武装した者)が何人も立って、なにやら話しこんでいます。垣根ごしに聞くと、盗賊がこれから入ろうとする家の相談していたのです。彼らは、彼らしか知らない秘密の道に立っていました。狐と男はその道を通らず、そのそばの道を通り抜けました。狐は盗賊がいるのを知っていて、それを避けたのです。
道を抜けると、狐はいずこかに消えました。男はなにごともなく帰ることができました。
狐が助けてくれたのは、このときだけではありませんでした。「おまえを守る」というその言葉に、そむくことはなかったのです。
もしあの玉を返さなかったなら、自分はきっと無事では済まなかっただろう。玉を渡してよかった。心からそう思いました。
このような異類は、人の恩を知り、決して嘘をつきません。もし助けるような機会があれば、必ず助けるべきです。人間は心を持ち、因果を理解しているはずですが、なかには獣より恩を知らず、実ならぬ心(嘘をつく心)を持っているものがあります。
そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
中山勇次
【校正】
中山勇次・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
中山勇次
「巫女」とは、口寄せをする女性のことで、当時はあちこちにいたと思われる。恐山のイタコなど、現代でもわずかに残っている。いかがわしい者も多かったようで、ここでも狐の玉をもともと巫女が持っていたものではないかと疑っている。
狐の玉とは、浄瑠璃『しのだづま』で母狐が息子の狐に渡すもの。龍が持っているもの、橋や灯籠の上につけられた丸い玉も同じもので、呪的な力を封じ込めたものであるという説がある。
狐は盗賊の存在を男に見せて危険があることを察知させ、あえて別の道を通ることで安全に通行している。
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