巻二十七第十話 油を盗む怪異の話

巻二十七(全)

巻27第10話 仁寿殿台代御灯油取物来語 第十

今は昔、延喜(醍醐天皇)の御世に、物が仁寿殿の対代(たいしろ、建て増しの部屋)の灯用油を夜半くらいに取りに来て、紫宸殿(ししんでん、*1)の方に去っていくということが毎夜ありました。

醍醐天皇像(醍醐寺三宝院蔵)

天皇はこのことを心外なことだとお思いになされまして、「どうにかしてこれを見つけ出してやろう」とおっしゃられましたので、その時に弁官の源公忠という人が殿上人がおりましたが、申し上げることには「この灯用油を取る物を捕らえるような大それたことは出来ないかもしれませんが、正体を明かすことくらいはして見せましょう」ということでした。

源公忠朝臣「三十六歌仙額」

天皇はこれをお聞きになられて喜ばれて「必ず正体を突き止めるのだぞ」と仰せになられました。
三月の霖雨の頃で夜になると、明るい所でさえなお暗いのでした。ましてや紫宸殿の隙間は大変暗く、公忠の弁は中橋からそっと忍び足で登って、紫宸殿の北の脇戸の傍に寄り添うように立って、物音も立てずに伺っていた所、午前二時になったと思しき頃、物の足音が近づいてきました。「こいつだ」と思うと、灯用油を取る重い足音は確かにしたが、姿は見えませんでした。ただ灯りが紫宸殿の戸に浮かび上がってくので、その影に弁は走りかかって、紫宸殿の戸の下で足を持ち上げ、強く蹴ったので、足に物が痛いくらい当たりました。灯用油はこぼれ、物は南の方に逃げ去りました。

京都御所の紫宸殿。 殿前左は右近の橘、右は左近の桜

弁は帰って殿上で灯りを燈して足を見ると、親指の爪が欠けていて血がついていました。夜が明けて蹴った所に行って見ると、蘇芳色の血が多くこぼれて、紫宸殿の塗籠(ぬりごめ、*2)の方にはその血が続いていました。塗籠を開けて見ると、血だけが多くこぼれ、他には何もありませんでした。そんな訳で、天皇は公忠に大変感心なされました。

弁は武家ではありませんでしたが、思慮深く怪異を恐れない人だったので、この物も恐れずに、隙を伺って蹴ったのでした。他の人であったら恐れ多いご命令があったとしても、そんなに暗い紫宸殿の隙間にたった一人で立てましょうか。

その後、(物が)この灯用油を取りに来ることは無くなったと語り伝えています。

【原文】

巻27第10話 仁寿殿台代御灯油取物来語 第十
今昔物語集 巻27第10話 仁寿殿台代御灯油取物来語 第十 今昔、延喜の御世に、仁寿殿の台代の御灯油を、夜半許に、物来て取て、南殿様に去(いぬ)る事、夜毎に有る比有けり。 天皇、此れを目ざましき事に思食して、「何で此れを見顕さむ」と仰せられけるに、其の時に□□弁源の公忠と云ける人、殿上人にて有けるが、奏して云く、...

【翻訳】 長谷部健太

【校正】 長谷部健太・草野真一

【協力】草野真一

【解説】長谷部健太

後世の怪談のような話。ここでは「物」と書かれていて、実態はあるが姿が見えないとされている。

[醍醐天皇]…在位は、寛平九年(897年)七月三日から延長八年(930年)九月二十二日。摂政・関白を置かないで親政を行い、延喜式の制定や古今集の編纂を命じるなど、聖帝(ひじりのみかど)と呼ばれ、名君として知られた。

[源公忠]…光孝天皇の第十四皇子である大蔵卿・源国紀の次男。官位は従四位下・右大弁。三十六歌仙の一人。


*1…内裏の正殿で、元々は朝賀や公事が行われたが、後には即位の大礼が行われる場所となった。南殿(なんでん、なでん)とも呼ばれた。

*2…寝殿造りの母屋の一部を仕切って周囲を厚く壁で塗り固めて作った閉鎖的な部屋。元は寝室だったものの、納戸のようにも使われるようになった。

【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)

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コメント

  1. […] 高貴な色と言われる一方で、蘇芳色は血の色とも言われていました。今昔物語 第27巻 第10話では、怪物が残した乾きかけの血を「蘇芳色」と表現しています。確かに染料の色は血のよう […]

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