巻二十七第三話 桃園の柱の穴から幼児の手が出てきて人を呼ぶ話

巻二十七

巻27第3話 桃園柱穴指出児手招人語 第三

今は昔、桃園という所は今の世尊寺でした。元々は寺でもなかった時に、西宮の左大臣(源高明)がお住みになられていました。

その時に寝殿の東北の母屋の柱に、木に節穴が開いていました。夜になると、その木の節穴から小さい子どもの手が指し出てきて、人を招くことがありました。大臣はこれをお聞きになられて、なんとも奇妙なことだと驚き、その節穴の上にお経を結びつけて申しなさったけれど、それでも招いたので、仏の絵像をお掛け申し上げたけれど、招くことはそれでも止みませんでした。この様にして色々試みても止まずに、二晩三晩を置いて、夜半に、人が寝静まった頃に必ず招くのでした。

そうする内に、ある人が試してみようと思って、征箭(そや、戦陣で用いる矢)を一本その節穴に指し入れてみたら、その征箭がある時は招くことはなかったので、その後で箭柄を抜いて、征箭のやじりを穴に深く撃ち込んだ所、その後は手が招くことが絶えて無くなりました。

このことを思うと、どうにも分からないことです。間違いなく鬼神などでありましょうが、それにしても一体、征箭の霊験が仏や経典よりも勝っているとは、考えられないことです。
だから、その時の人は皆これを聞いてこんな風に怪しんで疑ったと語り伝えています。

【原文】

巻27第3話 桃園柱穴指出児手招人語 第三
今昔物語集 巻27第3話 桃園柱穴指出児手招人語 第三 今昔、桃園と云は、今の世尊寺也。本は寺にも無くて有ける時に、西の宮の左の大臣なむ住み給ける。 其の時に、寝殿の辰巳の母屋の柱に、木の節の穴開たりけり。夜に成れば、其の木の節の穴より、小さき児の手を差出て人を招く事なむ有ける。

【翻訳】 長谷部健太

【校正】 長谷部健太・草野真一

【協力】草野真一

【解説】長谷部健太

[源高明(みなもとのたかあきら)]…醍醐天皇の第十皇子。正二位・左大臣。藤原師輔や安子の後援を受けて朝廷で重んじられるが、安和二年(969年)に安和の変で失脚。

東北は鬼門とされていた。怪異に仏教よりやじりが効く。武士の台頭を反映した内容と思われる。

醍醐天皇像(醍醐寺三宝院蔵)

【参考文献】

日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)

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