巻27第9話 参官朝庁弁為鬼被噉語 第九
今は昔、太政官(だいじょうかん、中央官庁)が朝庁という事を行っていました。未明に人が参るものでした。
その時、史(さかん、三等官)□□の□□という者が遅刻し、弁(史の上司)は早出して席に座っておりました。史は遅刻したことを恐れて、急いで内裏に入った所、待賢門に弁の車が立ててあるのを見て、弁は参上しているということを知りました。
太政官に急いで参上した所、太政官の北の門の内側の塀の下に、弁の雑色(秘書)・小舎人の童(従者)などがおりました。そこで史は急いで東の庁の東の戸の下に寄って、庁の内部を覗いたら、火は消えて人の気配もありませんでした。
史はたいへん不審に思って、弁の雑色達のいた塀の下に寄って「弁の殿はどこにいらっしゃるのですか」と聞いたので、雑色達は「東の庁に早く参上なさいました」と答えたので、史は主殿寮(内裏の管理官)の下役人を呼び、火を燈させて庁の内部に入って見ると、弁の座席には赤い血だらけの頭の毛が所々に飛び散っていました。
史は「これはなんだ」と驚いて傍らを見ると、血のついた笏(しゃく)・沓(くつ)もありました。また、扇もあり、弁の手でその扇に必要事項が書き付けてありました。弁官がさっきまで座っていた敷物も血まみれになっていて、他の従者達が持ち去っていきました。
その後、その東の庁では朝庁が行われなくなり、西の庁で行われることになりました。
公務とはいっても、人気のないのは恐ろしいことであります。
このことは水尾(清和)天皇の御世だと語り伝えているということです。
【原文】
【翻訳】 長谷部健太
【校正】 長谷部健太・草野真一
【協力】草野真一
【解説】長谷部健太
前話同様、ホラー小説さながらの事件で、未明に人気のない建物で起こった惨劇である。
水尾(清和)天皇の御世とは、天安2年(858年)8月27日から貞観18年(876年)11月29日まで。
【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)
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