巻27第12話 於朱雀院被取餌袋菓子語 第十二
今は昔、六条院の左大臣と申し上げる方がいらっしゃいまして、お名前を重信と申し上げます。
その大臣が方違えに朱雀院へ一夜お泊りになるということで、石見守藤原頼信という、当時瀧口(たきぐち、*1)であった者が、その大臣の許にいたので、その頼信を前立たせて朱雀院に遣わし、待たせていました。
頼信は前立って朱雀院に行きました。大臣は大きな餌袋(弁当など携行食を入れた袋)に数種類の果物を混ぜて目一杯に入れ、緋色の組紐で強く結んで封をして、頼信に預け、「これを持って行って置いて来い」と言われました。頼信は餌袋を部下に持たせて朱雀院に行きました。
東の対屋の南面をあけて、火を燈して、頼信が大臣のおいでになるのをお待ち申上げていると、夜が徐々に更けてきました。大臣のお出ましが遅かったので、頼信は待ちかねて、傍に弓と胡録(やなぐい、*2)を立てて、餌袋を押さえていた所、眠くなってきたので寄りかかっていると、寝入ってしまいました。
やがて大臣がお出ましになられ、頼信が寝ているのを起こそうとされました。頼信は驚き慌て、餌袋の紐を締めなおし、弓・胡録を取って外に出ました。
その後、良家の公達が、大臣の前に集まって、何となくその餌袋を取り寄せて空けてみた所、餌袋の中には全く何も入ってはおりませんでした。なので、頼信が呼ばれて聞かれ、頼信が申し上げることには「頼信が余所見をしていて、餌袋から目を離しでもしましたならともかく、ここに取り入れてそのまま抑えておりました物を、どうして失くすことがありましょうか。頼信が押さえたまま寝入った頃に鬼などが取っていったのかもしれません」と言ったので、皆は恐れ騒ぎました。
本当に、このことは不思議なことだとその時の人たちは言いました。たとえ持ってきた部下が盗み取ったとしても、少しは残すものでしょうに。それが全く何もなく、物を入れた様子もなかったのです。
頼信が語ったことを聞いて、語り伝えたということです。
【原文】
【翻訳】 長谷部健太
【校正】 長谷部健太・草野真一
【協力】草野真一
【解説】長谷部健太
[重信]…宇多天皇の孫で、敦実親王の四男。母は藤原時平の娘。左大臣、正二位。長徳元年五月八日薨去、七十四歳。
[藤原頼信]…系譜未詳。寛平三年七月八日石見守。
*1…天皇が普段いる場所である清涼殿、そこの北東にある瀧口所に詰めた武士で、警備や雑役に当たった。
*2…矢を入れて背負う道具。
【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)
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